仏教寺院を自転車遍路する「仏寺めぐり大阪」。

運営者のホットケーキです。現在、2022年の目標として大阪市内すべての仏教寺院(約1200か寺)を訪問中です。
乗っている自転車は2018年に買ったママチャリです。
左ブレーキがガシガシ、カゴがガタガタ鳴っていますが、けっこう頑張ってくれています。

大阪市此花区にて淀川を望む。2022年3月16日に撮影。
仏寺めぐり大阪の概要
大阪市内すべての仏教寺院を訪問すべく、自転車であちこちのお寺を回っています。
そのため仏寺めぐりがメインコンテンツです。
このコンテンツでは寺号や所在地だけでなく、宗旨・宗派、山号・院号の情報もフォローしています。
とくにお寺情報サイト類では山号・院号の情報がほとんどありませんから、それを意識して収集しています。
また、お寺や隣接地には史跡・遺物などがつきものです。ですからついでに史跡めぐりもしています。
各寺院にはボード(掲示板)やプレートが併置されていることがあります。
これらには仏の教えや日本史に関わる説明、そして地域社会に関する情報などが掲示されています。それらを拾って文章化したり紹介したりしています。
ぜひ日本史や仏教史の勉強にお役立てください。
仏寺めぐりのついでに、レトロな建物・風景や可愛いお花も写しています。
前者は大阪レトロとしてカテゴリーにしています。お寺からお寺へ移るときに気づいたレトロな建物を多く載せています。
後者は移動中や寺内で写した植物写真を、加工したり未加工のままだったりで載せています。
仏寺めぐりをはじめた理由
大阪市内の仏教寺院を自転車でめぐることには、少し理由があります。
体調不良
長年、私は教職関係の仕事に勤務してまいりましたが、コロナ禍の2年間で仕事が激減し、ついに2021年末に体調を崩しました。
体力・気力とも数年前の元気な状態に戻したくなり、2022年の幕開けとともにサイクリングをやろうと思いました。
サイクリング
わたしは直ぐに結果を求めるタイプなのでジョギングが苦手です。
といっても、ウォーキングだと風景がマンネリになりがちで到達地点も短めですから、長続きしそうにありません。
そこで、サイクリングを選びました。
サイクリングで行く場所がいつも変わって飽きないようなプランは何か。
仏教寺院の個人経験

Arek SochaによるPixabayからの画像
あちこちにあって、あまりお金がかからない場所ってお寺や神社だと思いつきました。
そのうえで、一番頂点にいる仏は神社の神よりも安定しているので、仏教の方が安心できます。
また、次のような具体的なつながりも仏教を選んだ理由です。
- 奈良県の実家が浄土宗の檀家になっている
- 母が奈良県の真言宗豊山派寺院の事務員として勤めてきた
- 私が浄土真宗本願寺派の元締め的な大学に勤めたことがある
このような複数の理由から、自転車でめぐる先に仏教寺院を選びました。
大阪市内
ではなぜ大阪市内なのか。
大阪府内となると自宅からかなり移動距離が増えます。
大阪市内でもかなり広範ですが、府内よりは狭いことと、仏教寺院数が1217ですので、年内に達成できそうに思えました。
長らく大阪市内で暮らしてきたので地理勘も役立ちそうです。
「仏寺めぐり大阪」は大阪市のさまざまな歴史にも注目しています。
宗教の効果やメリット

Pilar MolinaによるPixabayからの画像
宗教の効果
仏教は世界三大宗教や五大宗教の一つです。
そもそも宗教は大きく哲学と比べると特徴がわかりやすいです。
宗教は物事を善と悪、自と他、可と否のように二つに分けます。この考え方は二分法ですのでそれなりに限界もあります。
哲学との違い
本当に二つに分けられるのか。
これを追求するのが哲学です。
善と悪をテーマにした場合、哲学の考え方は仏教より前に進み、善のなかに善や悪を見いだし、悪のなかにも善や悪を見いだすように、分類をつづけていきます。
20代30代のように脳みそが活発で活性化している時期に哲学を勉強することはそれなりの効果があります。
しかし、40代以降に脳みそが鈍化していくにつれ、哲学の考え方だと落ちがないことに気づきはじめます。
「いろんな考え方がある」や「相手が間違っている」で終わってしまう哲学の無責任な態度や発想に嫌気がさしてきます。
宗教のメリット

Juraj VargaによるPixabayからの画像
そうなると二分法の限界はあるとはいえ、善と悪や自と他というシンプルな考え方の宗教が21世紀には大切だ、と私は考えます。
宗教とは心の安らぎと究極の真理を求める精神活動です。何も自分の能力や人間の能力を超えたものを求めます。
そんな能力は存在しないと思う人たちも多いのですが、人間を信用するよりも、そういう能力を信用したほうがまっとうな気もします(笑)
仏教の効果やメリット
学界よりも効果的で普及的
学界では、現代社会は競争社会だといわれるわりに打開策をまったく提起できませんでした。
現代日本の大学が示す惨状を思い起こしてください。
これに対して仏界は次の2点で人間に安心やくつろぎの効果を与えてくれます。
- よりどころを提起してくれる
- よりどころから自分を考え直せる
寺門や本尊などで禱るのもよし、拝むのもよし。
歴史からみたメリット
仏教は紀元前5世紀ころに釈迦を開祖として、古代インドに起こった宗教です。世界各地への広い普及は歴史が教えるところです。
仏教は宗派の対立こそあれ、政者だけでなく民衆をも土台に展開してきた歴史に私は安心を抱きます。
宗旨間・宗派間コミュニケーション

Sasin TipchaiによるPixabayからの画像
世界にはいろんな地域があり、いろんな宗教があります。
日本では無宗教の人が多いですが、歴史的にもグローバル的にも無宗教の人たちは珍しいくらいです。
コミュニケーションの大切さ
それでも日本では檀家制度が根づよく維持されてきたので、おおまかに仏教を自分の宗教に思う人が多いのも確か。
コミュニケーション能力を磨くために、檀家制度を使っている方は人との会話で宗派を公に話してもいいように私は思っています。
先にふれたように、宗教は哲学と違ってシンプルな点が魅力です。
哲学は物事を複雑にするだけで到達点を示しません。これが哲学の歴史でした。
宗教もシンプルすぎて争いが世界史上たくさんありましたが、個人の所属を証明するときに宗派を言ってしまえば、宗教を身近に感じることができて、楽にコミュニケーションできるはずです。
ご参考までに姉妹ブログをご覧ください。コミュニケーションの取り方や重要性をまとめています。
コミュニケーションのポイント
コミュニケーションするときに、気をつけることがあります。
宗教の話をする範囲です。
自分の宗派の歴史や軽い自慢を語るに止めるのがポイントです。推薦したり勧誘したりすると嫌がられます。
一つのコツは、天下分け目の戦いや明治維新で自分の宗派や地域がどのチームに入って、どう展開したかです。
過去のことなら話がしやすく、関ヶ原や維新は日本史の定番ですから、話になりやすく、コミュニケーション相手とも話がしやすいのです。
私にとっての仏教
私が私に向き合うためのきっかけを仏教は提供してくれます。この姿勢に宗派の対立や違いは関係ありません。
ブッダにたいする解釈の違いを知りたくなれば、宗派の教義などを勉強していけばいい話です。
ブッダと向き合いたい
哲学のくどい他人向け屁理屈と仏教は違います。
水の流れや水の音、風の流れや風の音に心を澄ませることで、頼りにならない他人からも頭が悪く頑固な自分からも解放され、ブッダと向き合っていきたいものです。
応援をお願いします!
長らくお読みくださりありがとうございました。
とにかくギコギコと自転車に乗って大阪市内を駆けめぐっております。
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