大阪市内の仏教寺院を自転車遍路。山門・境内・お花たちの長閑な風景を紹介しています。
最近の関心事は3つ。
浄土宗心眼寺(大阪市天王寺区)
- 宗旨:浄土宗
- 宗派:浄土宗
- 山号:真田山
- 院号:
- 寺号:心眼寺
- よみ:しんがんじ
- 本尊:阿弥陀如来座像
- 所在地:大阪市天王寺区餌差町2-22
- 交通アクセス:①JR大阪環状線「玉造」駅から西へ950m。②大阪メトロ谷町線「谷町6丁目」駅から東南東へ1.5km。
- 参拝日:2022年4月23日
心眼寺は大阪新四十八願所阿弥陀巡礼の第11番です。
この巡礼の旧版「大阪四十八願所阿弥陀巡礼」でも心眼寺が願所になっていました。
京都見廻組桂早之助・渡辺吉太郎墓所
浄土宗心眼寺は、京都見廻組の桂早之助・渡辺吉太郎の墓所です。
真田幸村出丸城跡
浄土宗心眼寺は、真田幸村出丸城跡です。
大阪市顕彰史跡第204号に指定されています。
境内
真田左衛門佐豊臣信繁之墓
境内に、真田左衛門佐(真田信繁)豊臣信繁の墓があります。
プレート日本史として「従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓」の説明を付しておきます。
慶長二十年 五月七日
於 摂州大坂討死 四十九歳
墓碑銘 歴史地理史学者 中村武生
書 松本笙絢
真田信繁は、武田信玄配下の武将であった、父真田昌幸の次男、通称は源次郎、号は好白。
関ケ原の戦いでは父と共に西軍に付くも、戦いに敗れ、紀州九度山に幽閉される。14年間、蟄居生活を送り、慶長19(1614)年豊臣方に参加した。
大阪冬の陣では、難攻不落の大阪城唯一の弱点とも豊臣秀吉が危惧した、南惣構の外側に真田出丸を構築、そこで徳川方と壮絶な死闘を繰り広げた。
翌年の夏の陣で、信繁は茶臼山に本陣を置く。徳川本体と戦い、徳川家康に迫るも力尽き、越前兵に安居神社付近で討ち取られたと伝えられる。
真田信繁は、一般に「幸村」として知られる。しかし現存最後とされる慶長20年3月19日付の書簡にも「左衛門佐信繁」と署名があり、生前「幸村」と名乗ったことはなかったと考えられる。
徳川時代中期にあたる18世紀のなかばころには「幸村」の呼称が流布していた。本墓碑は、生前の確実な諱である「信繁」を採用した。
豊臣姓は秀吉が創始したもので、弟秀長や甥(のち養子)秀次ら親族のほか、毛利輝元や徳川秀忠(おそらく家康も)など有力大名も称した。
当寺は徳川時代より信繁の菩提を弔っている。信繁の四百回忌に際して、墓碑を建立する。
平成二十六年(2014)十月吉日 真田山心眼寺
浄土宗心眼寺「従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓」プレート
香月観世音菩薩像
変化観音の1つ、香月観世音菩薩が立っています。
桂早之助・渡辺吉太郎墓所
お花めぐり
お寺にはシュンラン、ブルーデージー、カイウなどが咲いていました。
シュンラン
ブルーデージー
カイウ
関連情報
心眼寺は大阪新四十八願所阿弥陀巡礼の第11番です。
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