意味
大元帥明王とは、明王部に属する仏尊で、八大夜叉大将(毘沙門天眷属)の一つ。
- 音写:阿吒縛迦(薄倶・婆拘/Atavakaから)
- 別名:鬼神大将、曠野神、曠野鬼神大将
- 三昧耶形:剣、輪、千輻輪
キャリア
役割
悪獣・刀兵などの難を除いて、国土衆生を擁護します。
鎮護国家の秘法として、よく、秋篠寺香水閣の閼伽井の水を用います(奈良県奈良市秋篠町)。
御利益
真言
のうぼう たりつたぼりつ ばらぼりつ しゃきんめい しゃきんめい たらさんだん おえんび そわか
展開
古代インド神話に登場する非アーリアンの鬼神アータヴァカが仏教化。
経軌によって明王とされました。
日本へは小栗栖の常暁が請来しました。常暁は栖霊寺の文際から太元法を受け、諸尊像や経軌群を図写して帰朝。
840年、それらを法琳寺に安置し、のちに宮中で修法する大法となりました。
形姿
法琳寺の本尊として、常暁請来の形像は六面八臂像。
これをはじめ、いくつかのバージョンを以下に紹介します。
六面八臂像
小栗栖本様といいます。
最上面だけが仏相で、ほかの5面は忿怒形。
左手に輪・合掌・棒、右手に三鈷杵・剣・合掌・素。
左脚で鬼の胸、右脚は別の鬼の頭を踏んで、火焔を負って、天女と師子が侍ります。
四面八臂像
阿吒薄倶儀軌(善無畏訳)・阿吒婆拘咒経(失訳)に、身体は黒青色、上面は仏形、本面の左右2面は牙を出す面で三目。
髪は逆立ち赤龍で結い、火焰が取巻いています。
左手に輪・槊・合掌・菜を、右手に金剛杵・棒・ 合掌・刀を所持。
身体中に蛇がまとい、脚下に2夜叉を踏んでいます。
四周に忿怒形の四天王が侍ります。
一面四臂像
左右の上手に千輻大輪と金剛杵を持ち、下手は左右離れて大印を結んでいます。
七宝冠を頂き髪は黒色。上唇で下唇を噛 み、身体は濃い青黒色。
2夜叉を踏んで畏しい形姿。
十八面三十六臂像
経軌にはありません。
東寺の白描図像も醍醐寺の本尊本も同じく、宋代仏画の影響らしく、図様が複雑で恐怖の限りを尽くした新図です。
他に十八面三十臂の記(秘鈔問答)があります。
大元帥法
正式名称は大元帥御修法。
後七日御修法に準ずる大法。
大元帥明王を本尊とし、善無畏訳の「阿吒薄倶元帥大将上仏陀羅尼経修行儀軌」などを所依とし、おもに鎮護国家のために修する秘法です。
日本に初めて請来したのは小栗栖の常暁。
840年、仁明天皇の御願により、山城(山科)法琳寺に安置されました。
851年、後七日御修法の例によって、同寺を永く修法院と定め、その後、宮中で毎年正月18日から17日間修法する大法となりました。
平安時代末期に法琳寺が廃絶した後は、醍醐寺理性院に継がれて1871年まで修法しました。
宝寿無窮と鎮護国家の秘法で、いまは天皇即位の翌年、後七日御修法の代りに京都東寺の灌頂院で修します。
正月8日より17日間の修法で、秘法のため周囲に布縵を回らし、大壇護摩壇(息災・調伏の2種)に聖天・十二天神供の壇を設け、道場内の東方に三十六臂、南方に八臂、北方に四臂の大元帥明王尊を配置。
また、南方の西寄に虚空蔵曼荼羅、北方の中西側には、毘沙門天曼荼羅・釈迦曼荼羅を並べています。
大壇上、刀・弓・節は四方に各23個、内側に8個、合計100個の兵器を並べる異状な荘厳です。
香水加持は秋篠寺の閼伽井より汲みます。常暁入唐以前に感見したため。
大元帥曼荼羅
阿吒薄倶元帥儀軌3巻(善無畏訳)に依拠。
曼荼羅集には方形四重式で記載。
内院では忿怒形で、四臂の主尊・大元帥明王の左右に天女と師子、下方に2青衣童子が侍しています。
第二院には十二天を配置しています。
第三院の四隅に四天王と十二支を配置。
外院には天魔・地魔をはじめ、密迹力士・摩登伽・犍闥婆・諸羅刹・諸龍神や鳩槃茶を配置。
異図が多いです。
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