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龍門石窟

史跡
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龍門石窟りゅうもんせっくつとは岩石をうがった窟内に龕や仏像を刻した石窟の一つ。

いわゆる摩崖仏で有名な史跡です。

中国河南省洛陽南方、黄河支流伊水の西岸にあります。

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建設の背景

北魏は、首都大同にて雲崗石窟の大事業を行ないました。

それから大同から洛陽へ首都が移りました。

いずれの石窟も、先帝への追善供養のために文成帝が造営させたものです。

つまり、雲崗石窟に続けて大石仏の造営を行なったのが龍門石窟でした。

5世紀末から約200年間にわたり開鑿補修され、おもな窟だけで20窟ほど、小さいものも含めると数千窟もあります。

雲崗石窟で大小50窟ですから、スケールの違いが歴然としています。

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様式の特徴

大小の窟が数千あり、造像様式はインドのガンダーラ様式・グプタ様式に中華風のトーンが加わっています。

雲崗石窟よりも中華色が強まり、北魏から唐中期にいたる仏教芸術の変遷を示しています。

龍門石窟の仏像をたどるだけで、2世紀にわたる中国仏教美術の歴史はもちろん、インドをふくめた仏教の世界史を展望できます。

qingwumingによるPixabayからの画像

日本仏教美術への影響

日本上代仏教美術の原流を示すものとし ても注目されます。

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