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慈尊院

史跡
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概要

慈尊院じそんいんは和歌山県伊都郡九度山町にある真言宗の寺院。

弥勒堂中心の慈氏寺と丹生高野両明神中心の神通寺の総称。

山号に万年山、俗称に孝養寺・結縁寺・女人高野。高野山を兜率内院にみたてて外院といい、極寒を避ける地で下院ともいいます。

「高野山の政所」として高野山山麓に立地し、825年に仁王会を始修しました。

高野山の表参道にあたり、空海が母君のために草創したと伝えられます。

  • 宗旨:真言宗
  • 宗派:高野山真言宗
  • 山号:万年山
  • 院号:慈尊院
  • 寺号:慈尊院
  • 本尊:木造弥勒菩薩坐像
  • 所在:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
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特徴

有吉佐和子の小説「紀ノ川」の映画版にて、安産祈願で「乳房型絵馬」を奉納する場面で登場。

町石率都婆の起点。

空海の高野山経営

山麓の当地に舎庫蔵を建てて、真言の法文、衣鉢の資具、仏餉修理料などを納め、三綱などの管理職を設置。

寺領の増加にともない、年貢の収納事務、山上の資財集積、下級裁判権をもつ荘園管理など、政所としての職分を発揮しました。

弥勒菩薩坐像

空海が母君のために自作したと伝わる弥勒菩薩坐像は、秘仏として堅く守られてきたため、木造の彩色がよく保存されています(実際は892年の会理作のようです)。

参拝者

平安時代末期から高野参詣が急増。表登山口であり女人禁制になる山上が信仰の対象として大ブーム。

1540年、紀ノ川が洪水し、川辺から現在地に移転。

中世、高野聖の往来は直接に高野山上で事務を処理したため、参拝者は急減。

近年は交通の発達で参詣する者がさらに減少しています。

周辺

表参道を30町ほど西北へ登ると、伊都郡かつらぎ町上天野の丹生比売神社。

四所明神鎮座の別天地で、高野創建の鎮守神として室町時代中期の楼門や春日造の神殿4棟が林間に鎮座しています。

関連情報

  • 慈尊院…公式サイト。寺院について、御祈願・年間行事・御守、見所、アクセスなど。

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