近所なのに目もくれなかった蕪村生誕地。
体調を崩してから近所の史跡めぐりや寺院めぐりを楽しんでいます。
たかが記念碑ですが、地域史を構成するにあたっての史跡選定という作業を考えると、伝えられた歴史と伝える歴史の二つを一緒に楽しむことができます。
蕪村生誕地と与謝蕪村銅像:大阪市都島区
街並みが冴えず、とりたてて目ざとい人物も出ていない大阪市都島区。
日本史や古文で有名な江戸時代の俳人、与謝蕪村は毛馬村に生まれました(1716年~1784年)。
当時は摂津国東成郡毛馬村といい、いまは大阪市都島区毛馬町(けまちょう)です。
蕪村生誕地の句碑と石碑
春風や/堤長うして/家遠し蕪村生誕地の句碑
これは仮名詩「春風馬堤曲」の一首です。「春風馬堤曲」には18首あり、1777年に刊行された『夜半楽』に収録されています。
堤の一文字でいろいろと想像し、あれこれと川を調べてみました。大阪市の川の歴史はかなり複雑です。
蕪村生誕地の句碑と石碑がある毛馬町は、琵琶湖からの淀川が新淀川と旧淀川(大川)に分岐する地点にあります。
昔は新淀川あたりに中津川(長柄川)が流れていて、中津川の分流には正蓮寺川(此花区)がつながっていました。しかし、1967年に中津川と長柄運河が埋め立てられました。
いまでは長柄運河の跡地からすこし東側に毛馬閘門(けまこうもん)があり、こちらで水運を管理しています(国土交通省)。
いずれかの川沿いの「堤」が長くて家が遠いと蕪村は詠っています。21世紀の近隣住民の体感からすると、かなり寒い印象の俳句ですが、春風が温もりを与えている気もします。
「春風馬堤曲」には、ほかに「やぶ入や浪花を出て長柄川」という句もあります。
さらに、慈母の恩を詠った句からは、母恩寺を想像しました。
蕪村生誕地の横にはナガミヒナゲシがひっそりと咲いています。
与謝蕪村銅像
淀川神社に置かれた与謝蕪村銅像。
2016年1月に生誕300年を記念して設置、除幕式がおこなわれました。
所在地
- 蕪村生誕地の句碑と石碑…大阪市都島区毛馬町3-7-13
- 与謝蕪村銅像…大阪市都島区毛馬町1-2-11
関連情報
蕪村生誕地は大阪市「歴史の散歩道」に指定されています。
- 大阪市:47.蕪村生誕(ぶそんせいたん)地(…>文化・スポーツ・生涯学習>生涯学習):大阪市ホームページ。歴史の散歩道のうち中之島・鶴見コースとして掲載。
- 大阪市都島区:史跡 (…>都島区ってどんなところ?>名所):大阪市ホームページ。都島区の史跡一覧(相蘇一弘監修)。「蕪村の生誕地・句碑」を掲載。
- 大阪市都島区:与謝蕪村 (…>都島区ってどんなところ?>ゆかりの人物):大阪市ホームページ。冊子「蕪村と都島」(都島区役所制作)より抜粋し、蕪村のふるさと都島を紹介。蕪村略年譜、「蕪村と都島」のデジタルブック、与謝蕪村関係展示パネル貸出について、「与謝蕪村のふるさと 都島」スライド動画など。
- 与謝蕪村縁の神社 – 淀川神社公式サイト:与謝蕪村銅像を置く淀川神社の公式サイト。御由緒、与謝蕪村の氏神さま、御祈祷・出張祭、年中行事、厄年一覧表、フォトアルバム、境内案内、授与品など。
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