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敦煌

地理
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概要

知仁によるPixabayからの画像

敦煌とは、中国甘粛省酒泉市内にある県級市。

古代中国の遺跡があり、世界史でも有名な都市です。また、しばしばテレビ番組で特集される中国の大遺跡の定番地域です。

古代に瓜州や沙州と呼ばれたこともあります。

中国から中央アジアに赴く前進拠点として古くから開けた都城で、多民族が雑居していました。

そして敦煌は、中華と西域との境界にあり、仏教伝搬ルートとしても古くから栄えていました。

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特徴

敦煌には多数の石窟があり、仏尊の石像や絵画が豊富に残っています。

石窟には、さまざまなテーマの絵図が描かれています。

尊像画、本生図、因縁画、仏伝故事画、仏教史跡画、供養人物画、装飾画。

さらに、伝統的な神話を題材にした画、仏典に説く説話的な内容を描いた変相図など。

莫高窟

Ken ChuangによるPixabayからの画像

4世紀、都城の東南 25km にある鳴沙山東側の断崖に、366窟におよぶ莫高窟が開掘されました。

その後、宋・元時代にいたる10世紀間に1,000を越える洞窟が掘られ、壁画が描かれ、塑像が造られていきました。

今日でも500弱の個所が保存されています。

塑像や壁画は、北魏・隋・唐・五代・宋・西夏・元の各時代にわたっています。敦煌芸術が最高潮に達した時代は唐時代。

イギリス・フランスによる文化財の持ち出しと現在

敏 小によるPixabayからの画像

1900年、帝国主義的な発掘と持ち出しによって、イギリスの探検家スタインが、この石窟寺院の一窟中から古書・古経典をたくさん発見。

それらは梵語・チベット語・トカラ語・ウイグル語・ソグド語・トルコ語で書かれた貴重な文献が含まれていました。

現在、イギリスの大英博物館やインドの中央アジア古美術博物館などに保存されています<`ヘ´>

その後、フランス人ペリオも同じ帝国主義的なノリで敦煌を訪れ、まだ残っていた遺品から、漢字の古文書・仏典・書籍など数千点を持ち去りました。

このときの中華民国政府は「残余を北京の京師図書館に移し、古書散逸の責任者である王道士を死刑に処しました。

現在は、中華人民共和国政府が敦煌文物研究所を設置し、壁画を摸写復元しています。

文化財

  • 釈迦の上足(高弟)たち十大弟子じゅうだいでしを描いた宋初の壁画があります。
  • 壁画の仏伝中に、半跏思惟像の悉多太子が愛馬カンタと別れる場面で描かれています。
  • 莫高窟に釈迦の涅槃像があります。

敦煌莫高窟の涅槃像。

唐翻対字音般若波羅蜜多心経(玄奘訳)

石室から、般若心経の梵文を漢字で音写した「唐翻対字音般若波羅蜜多心経」(玄奘訳)が発見され、重要資料となってきました。

不二の法門

論客維摩居士の病床を智慧第一の文珠菩薩が釈迦の名代として見舞い、不二の法門を論題として展開。この論戦が壁画に描かれています。

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