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泰山

地理
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概要

泰山たいざんとは中国山東省泰安府にある山。

山東省済南市の南東約46キロに位置。

東岳・ 岱山・太山とも。

道教・仏教の信仰の対象となってきた霊山です。

1987年に世界複合遺産に登録されました。

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住民

死者の魂魄を召すことを担当する中国の神「太山府君」が住んでいます。

仏教と習合して、閻魔王の書記として善悪行為を記録する王となりました。

歴史

350年頃に竺僧朗が神通寺を開創。

隋代に神道寺と改称。

義浄が学を受けました。

4世紀:僧朗の活躍

351年、僧朗は泰山に移住し隠士張忠と親交を結びました。

しばらくして、秦の主苻堅が張忠を呼びよせ、忠は召して華陰山(西安市)に向かいました。

僧朗は泰山西北の金輿谷崑崙山中に精舎と石室を建立。内外の家屋は数十棟。

噂を聞いて来た者は百人あまりに達し、苻堅、慕容徳、晋の孝武帝は僧朗の徳に敬慕。

苻堅は表彰の授与を促しましたが、僧朗は拒否。

その後、慕容徳は東斉王の名を慕い、二県の租税を僧朗に与えて名声を高めました。

当時は金輿谷を朗公谷、寺院を朗公谷山寺と呼んでいました。

6世紀・7世紀:廃絶から再興へ

北周時代に廃絶され、隋代に再興し「神通寺」と改称。

641年、義浄が7歳のとき、神通寺の親侍寺僧善遇と慧智を知り、その教育を受けました。

そのあと、当寺の歴史は風化。

神通寺にある多くの遺物は唐代に作られたもので、次にまとめます。

文化財

四門塔、朗公塔、千仏崖石窟、金元時代の歴代住職の墓塔、元明年間の諸碑などが残っています。

四門塔

544年に建てられた石造建築。四面に入口があります。

四方塔、四面塔とも。

石造単層で、平面は方形で1辺約7.4m、全高約13m。

入口の上部はアーチで装飾され、内部は中央に壁体があって、四周に仏壇が造られています。

朗公塔

通称「龍虎塔」。

内部の中心柱の四面に仏像が刻まれています。

建立年代は中唐から唐末の間。

千仏崖石窟

神通寺西側の山腹崖には千仏崖石窟があります。

ここには大小石仏数百体が刻まれていて、唐代初期の作品と思われます。

いわゆる摩崖仏です。

また、僧明徳が造った仏像もあり、唐・貞観年間と銘文が記しています。

この石窟の破損は、雲崗石窟龍門石窟、天龍山石窟よりも少なく、文化価値として高く評価されています。

経石峪

花崗岩に金剛般若波羅蜜経を彫刻したものです。

泰山経石峪磨崖金剛経とも。

文字の大きさは30〜45cm四方、約900余字が残存しています。

書体は雄渾で唐代の筆蹟。

磨崖石経の白眉といわれるほど人気です。

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