人物
阿難とはブッダの従弟で十大弟子の一人。多聞第一といわれました。
ブッダが入滅するまで25年間も随従しました。
イケメン僧侶で女性関係のエピソードに富みます。
人物名はAnanda(アーナンダ/阿難陀)の音写。
麦積山石窟に北魏時代の阿難像が刻まれています。
キャリア
出家して間もなくブッダに常随する弟子となりました。
ブッダの教説を記憶している点で弟子中随一で、多聞第一と呼ばれました。
ブッダの生前には悟りを開くことができず、入滅の前後には悲慟哭して、アヌルッダから戒められました。
入滅後に大迦葉の教誠をうけて大悟し、経典の第一結集のときに選ばれて経を出しました。
大乗経典とくに般若部の諸経に、文殊菩薩が実在人物として登場し、対告衆となって仏弟子らと問答。このとき弥勒菩薩とともに、阿難をして仏典を結集しました。
ブッダの叔母マハーパジャー・パティー(憍曇弥)が入団を希望したとき、阿難の斡旋により初めて許可され、比丘尼教団が成立する土台になりました。
口餓鬼に告げられて行なった法要から施餓鬼会がはじまりました。
文化財
中国では釈迦の向かって右側に立つする仏像があります。
禅宗では、付法の第一祖・二祖として迦葉と阿難を採りあげ、釈迦三尊として仏殿に安置しています。
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