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黄檗希運

人物
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人物

黄檗希運は唐代の南岳下の禅僧。諡号は断際禅師。

中国福建省福州市にある県級市の福清市出身。

百丈懐海に師事し、黄檗山に住んで宗風を広げ、龍興寺・開元寺に移りました。

法語集に、弟子の裴休はいきゅうが集めた伝心法要があります。

ほかに弟子の臨済義玄も有名で、こちらは臨済宗の始祖です。

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キャリア

黄檗希運希運は推定で775年に生まれ、850年に没しました。俗姓不詳。

黄檗山にて

福唐江陰里(現在の江陰鎮)で暮らす幼い頃から仏縁があり、10歳で出家し、黄檗山万福寺で小沙弥をしました。

彼は黄檗山万福寺で長らく修行したのち、当寺の諸禅師の法教に満足せず、四方を旅し、高僧を訪ねました。

長安にて

希運は浙江省台州天台山を経て、最後に長安に到着。

高僧の南陽慧忠禅師に会い尽くし、慧忠が入寂したのち、希運は、馬祖道一と百丈懐海とを訪れるため、江西地方の進賢という街に旅立ちます。

両者とも当時の禅法の優れた大徳でした。

江西にて

馬祖道一はすでに亡くなっていました。

希運は長らく百丈懐海のそばに留まって禅法を学び、懐海の高足と法嗣となりました。

その後、希運は高安(現在の江西宜豊付近)に黄檗寺を建てて仏法を発揚しました。

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