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真言宗宝珠院(大阪市北区)

北区
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大阪市内の仏教寺院を自転車遍路。山門・境内・お花たちの長閑な風景を紹介しています。
最近の関心事は3つ。

  1. 仏像を写す
  2. 毎日の勤行に真言宗のお経を読む
  3. 終活に仏寺めぐりを考える
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真言宗宝珠院(大阪市北区)

  • 宗旨:真言宗
  • 宗派:真言宗御室派
  • 山号:菅原山
  • 院号:宝珠院(賽珠院・寶珠院・寳珠院)
  • 寺号:宝珠院(天満寺)
  • よみ:ほうじゅいん(ほうしゅいん/てんまんじ)
  • 本尊:大日如来
  • 寺格:大阪天満宮の神宮寺
  • 霊場:摂津国八十八所巡礼(第10番札所
  • 所在地:大阪市北区与力町1-2
  • 参拝日:2022年2月4日、2023年6月9日
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ギャラリー

寺門

真言宗宝珠院(大阪市北区)。2022年2月4日に撮影。

真言宗御室派天満寺宝珠院(大阪市北区)。2022年2月4日に撮影。

次の寺札は、仁和寺門跡第41世・森諦円の書。「仁和門跡諦圓」と書いてあります。

真言宗菅原山宝珠院(大阪市北区)。2022年2月4日に撮影。

各霊場めぐりで宝珠院は次の札所になっています。

真言宗宝珠院(大阪市北区)。2022年2月4日に撮影。

境内と鬼瓦

北区の寺院となると敷地は狭いんですが、宝珠院境内にはコンテンツがびっしり詰まっています。

各コンテンツの間を埋めてくれるのが、たまに置かれている鬼瓦たち。

境内の一画。右手に 本堂、左手に護摩堂や水掛不動尊。正面奥に油掛大黒天・荼枳尼天・辯才天など。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

鬼瓦3点をどうぞ。

3枚目はなんともカラフルな鬼瓦です。

うりゃーっ!鬼瓦。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

ごらぁーっ!鬼瓦。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

やあ!カラフルな鬼瓦。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

水掛不動尊

水掛不動尊(不動明王)がありました。

周囲にコケがモリモリ育っていました。

台座の石から生えていますね。

コケがモリモリ育っている水掛不動尊。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

不動尊にもうっすらコケが定着しはじめています。

コケがモリモリ育っている水掛不動尊。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

一見、お尻が痒いのかなと思ったら、左手で衣を持ち上げている様子。

コケがモリモリ育っている水掛不動尊。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

緑に包まれ、やがて自らも緑色に染まっていく三昧耶形といったところでしょうか(^^)

油掛大黒天

水掛けと違い、こちらはネットリ。

油掛大黒天。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

油掛大黒天。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

むちゃ耳朶のデカい大黒天さんが、キュートなポーズで迎えてくれました。

やあ。油掛大黒天。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

天満宮

もともと天満宮寺だったことから、天満宮と名乗るお堂もあります。

両側が阿吽の狛犬に護られた天満宮。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

天満宮を護る阿吽の狛犬(阿タイプ)。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

天満宮を護る阿吽の狛犬(吽タイプ)。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

護摩堂

真言宗寺院に欠かせない護摩堂。

真言宗寺院らしい護摩堂。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

真言宗寺院らしい護摩堂。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

本堂

仁和寺門跡第41世・森諦円が書いた寺名板。

天満宮寺と名づけられた本堂。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

天満宮寺と名づけられた本堂。書は仁和寺門跡第41世・森諦円。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

辯財天と吒枳尼天

大黒天の油掛けを楽しんで、七福神の雰囲気に浸かりかけたところ、辯財天も祀られていることに気づきました。

ますます七福神です。

ガラスが反射しまくって私しか写りませんので^_^、辯財天の写真は無し。

その隣に吒枳尼天も佇んでいて、こちらは、まあまあはっきり写せました。

吒枳尼天(荼枳尼天)。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

インド神話では女神、中国でも女神。

やや期待しましたが、オッサンでした(^_^;)

延命地蔵尊と厄除地蔵尊

延命地蔵尊と厄除地蔵尊。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

こちらも反射で写しにくいですが、2体の地蔵さんが前後に並んで立っているのを目視できました(^o^)

十一面観世音菩薩

十一面観世音菩薩。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

十一面もあるから顔を拾えるだろうと、アップを試みましたが、やはり反射でうまく写せず…(^^)

十一面観世音菩薩。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

十一面観音の正面に置かれた石碑。

この梵字を調べましたが、分かりませんでした。

十一面観世音菩薩の前に設置された石碑。この梵字が分からず…。真言宗御室派宝珠院(大阪市北区)。2023年6月9日に撮影。

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大阪市指定文化財

宝珠院の所蔵物5点が大阪市指定文化財になっています。

  1. 木造弥勒菩薩立像…有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕
  2. 木造地蔵菩薩立像…法量(像高)64.5cm、有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕
  3. 木造十一面観音菩薩立像…有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕
  4. 木造仏龕…有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕
  5. 古田織部書状…有形文化財/歴史資料
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住所

〒530-0036 大阪府大阪市北区与力町1-2。

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アクセス

Osaka Metro谷町線・堺筋線「南森町駅」より徒歩5分、JR東西線「大阪天満宮駅」より徒歩5分。

宗旨

古義真言宗。

本尊

大日如来

所蔵品

宝珠院は、数多くの貴重な仏像や文化遺産を所蔵しており、これらは寺院の歴史的な価値を象徴しています。特に、大阪市指定文化財として登録されているものが多い点が特徴です。これらの所蔵品は、戦火を免れたものも含まれており、寺院の復興の証となっています。

主な所蔵品として、木造十一面観音菩薩立像があります。この像は、大阪市指定有形文化財に指定されており、細やかな彫刻が施された優美な姿が印象的です。十一面観音菩薩は、慈悲の象徴として信仰を集め、寺院の守護像としての役割を果たしています。

次に、木造弥勒菩薩立像が挙げられます。これも大阪市指定有形文化財で、鎌倉時代に制作されたと推定されます。高さ約1メートル程度の立像で、穏やかな表情と流れるような衣文が特徴です。この像は、空海作と伝えられる伝説もありますが、歴史的な検証では鎌倉期の作品として位置づけられています。戦災を免れた貴重な遺産です。

さらに、木造仏龕が所蔵されています。これは仏像を安置するための小型の厨子のようなもので、精巧な木工技術が用いられています。大阪市指定文化財として、寺院の美術工芸の水準を示すものです。また、木造地蔵菩薩立像も同様に指定されており、地蔵菩薩の慈悲深い姿が彫り出されています。この像は、延命や厄除けの信仰対象として重要視されています。

その他の所蔵品には、古田織部書状があります。これは茶人として知られる古田織部の書状で、歴史的な文書として価値が高く、大阪市指定有形文化財です。また、聖観音像や他の鎌倉期の仏像も戦火を免れたものとして保管されており、これらは本堂内部に安置されていますが、一般公開は限定的です。これらの文化遺産は、宝珠院の長い歴史を物語る重要な要素となっています。

歴史

宝珠院の歴史は、古代に遡る深いものがあり、空海(弘法大師)との関わりがその基盤となっています。寺院の創建は、天長2年(825年)頃とされ、弘仁年間(810年から824年)に空海がこの地に滞在したことに始まります。空海は、紀伊国伊都郡の高野山草創期に、東寺から高野山への往来途中でこの場所に安居し、駄都秘法(駄都法)と呼ばれる密教の修法を行いました。この地が、修業の場として選ばれたのは、浪速の地の繁栄と人々の福恵を祈るためのものでした。

その後、空海の高弟である室生山堅恵上人が、師の跡を慕って入山し、駄都法を修して寺院を整備しました。これにより、寺院は「如意珠院」として成立し、後に「天満寺宝珠院」と改称されました。この改称は、菅原道真との深い結びつきによるものです。菅原道真は、清和天皇に奏請して天満郷を寺領として寄進し、これにより山号を「菅原山」と称するようになりました。道真は、寺院を深く追慕し、貞観年間(859年から877年)の住職である四世恵澄法印と比叡山での学友であったため、しばしば来詣しました。

道真の太宰府左遷時には、持念仏や書写した経巻を多数納め、自作の木像を送ったという伝承があります。これらの出来事は、宝珠院が学問の神である菅原道真と密接に関連する寺院として位置づけられる理由です。また、応永3年(1396年)には、後小松天皇から「菅原山 天満宮寺」の勅号を受け、摂津国豊島郡と大和国添上郡の荘園を寄付されました。これにより、寺院はさらに隆盛を極め、大阪天満宮の神宮寺としての役割を果たすようになりました。

中世から近世にかけて、宝珠院は広大な寺域を有する名刹として栄えました。元和元年(1615年)の大坂の陣後、寺町が形成される中で現在地に移転し、伽藍が整備されました。しかし、昭和20年(1945年)の大阪大空襲により、建物がほとんど焼失するという大きな被害を受けました。土蔵を残して全焼したものの、一部の仏像や文化財は戦火を免れました。戦後、昭和42年(1967年)に再建され、現在の姿となりました。この再建は、寺院の復興を象徴する出来事です。

宝珠院は、摂津国八十八所巡礼の第10番札所としても知られ、多くの巡礼者が訪れます。別称として「天満寺」「天満宮寺」などがあり、大阪天満宮とのつながりが強い点が特徴です。境内には、天満宮、護摩堂、油掛大黒、観音堂、延命地蔵・厄除地蔵、水掛不動、竹本摂津大掾の墓などがあり、これらは寺院の信仰の多様性を示しています。全体として、宝珠院の歴史は、空海の密教伝播から始まり、菅原道真の学問信仰、そして戦災からの復興までを辿るものであり、大阪の文化遺産として重要な位置を占めています。

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