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真言宗国分寺の寺門(大阪市北区)

北区
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大阪市内の仏教寺院をまわる自転車遍路。おもに山門、境内、お庭・お花、屋根瓦・軒瓦などを撮しています。

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真言宗国分寺の寺門(大阪市北区)

  • 宗旨:真言宗
  • 宗派:真言宗国分寺派
  • 山号:護国山
  • 院号:
  • 寺号:国分寺(摂津国分寺・長柄国分寺・國分寺)
  • よみ:こくぶんじ
  • 本尊:薬師如来
  • 御詠歌:み仏の護り給える国分寺 ゆるぎなき世の鎮めなりけり
  • 所在地:大阪市北区国分寺1丁目6-18

2022年1月25日、6月4日、6月13日、6月26日、8月1日、8月2日に撮影。

真言宗国分寺派国分寺の寺門(大阪市北区)。迎えてくれたのは「みのりちゃん」。2022年1月25日に撮影。

国分寺は真言宗国分寺派大本山です。真言宗国分寺派国分寺の寺門(大阪市北区)。2022年1月25日に撮影。

真言宗国分寺派国分寺の寺門(大阪市北区)。2022年1月25日に撮影。

真言宗国分寺派国分寺の寺門、大界外相。2022年1月25日に撮影(大阪市北区)。

境内

真言宗国分寺派国分寺の鐘堂(鐘楼と梵鐘)と納骨堂(大阪市北区)。どなたでも突けます。2022年1月25日に撮影。

真言宗国分寺派国分寺の宗務庁(大阪市北区)。2022年1月25日に撮影。

金光明院護摩堂と不動明王

真言宗国分寺派国分寺の金光明院護摩堂(大阪市北区)。2022年1月25日に撮影。

この護摩堂のなかを覗き込むと不動明王と目が合いますよ!

真言宗国分寺派国分寺の金光明院護摩堂裏「みのり不動尊」(大阪市北区)。2022年6月28日に撮影。

この不動明王は、顔の表情といいカラフルな塗装といい、Instagramでかなり人気のある仏像のひとつです。

愛称は「みのり不動尊」。

真言宗国分寺派国分寺の金光明院護摩堂と「みのり不動尊」(大阪市北区)。2022年6月28日に撮影。

ニョキ。

真言宗国分寺派国分寺の金光明院護摩堂裏「みのり不動尊」(大阪市北区)。2022年8月2日に撮影。

みのり不動尊(不動明王)のご真言は次のように書かれています。

のうまくさんまんだ ばざらだん せんだまかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん真言宗国分寺派国分寺の「不動明王」パネル

摂津国分寺の不動明王。2022年10月3日に撮影。

隣に立つ地蔵菩薩さん。

真言宗国分寺派国分寺の地蔵菩薩(大阪市北区)。2022年8月1日に撮影。

地蔵菩薩のご真言は次のとおりです。

おん かかかび さんまえい そわか真言宗国分寺派国分寺の「地蔵菩薩」パネル

龍手水

真言宗国分寺派国分寺の龍手水(大阪市北区)。2022年7月18日に撮影。

龍手水の後ろには不動明王アナザーバージョン。

真言宗国分寺派国分寺の不動明王(大阪市北区)。2022年8月1日に撮影。

最勝王院霊明殿

真言宗国分寺派国分寺の最勝王院霊明殿(大阪市北区)。2022年1月25日に撮影。

真言宗国分寺派国分寺の最勝王院霊明殿(大阪市北区)。2022年1月25日に撮影。

本堂

真言宗国分寺派国分寺昭和金堂の薬師如来像(大阪市北区)。2022年6月28日に撮影。

弘法大師像とマニ車

真言宗国分寺派国分寺の弘法大師像(大阪市北区)。2022年1月25日に撮影。

真言宗国分寺派国分寺のマニ車・経車(大阪市北区)。2022年6月13日に撮影。

このマニ車はネパールから贈られたもので、おおさか十三仏霊場会の各寺に設置されています。

屋根瓦

6月26日に国分寺を訪ねたとき、境内に屋根瓦が置かれていることに気づきました。

リタイアしたかポーズ中か。

真言宗国分寺派国分寺の屋根瓦(大阪市北区)。2022年6月26日に撮影。

真言宗国分寺派国分寺の屋根瓦(大阪市北区)。2022年6月26日に撮影。

真言宗国分寺派国分寺の屋根瓦(大阪市北区)。2022年6月26日に撮影。

地下鉄工事現場ガス爆発(天六ガス爆発事故)

国分寺の鐘堂には地下鉄工事現場ガス爆発(天六ガス爆発事故)犠牲者の遺骨を納める納骨堂があります。

お寺の前の国分寺公園には慰霊碑も。

地下鉄工事現場ガス爆発犠牲者慰霊碑(2022年6月4日、大阪市北区国分寺公園にて撮影)。

国分寺公園のお花

国分寺の正面にある国分寺公園のお花。

夏はサルスベリ。

大阪市北区国分寺公園のサルスベリ。2022年7月31日に撮影。

摂津国国分寺(長柄国分寺)の歴史

以下では国分寺の歴史について、自治体史や霊場巡り・お寺巡りなどの本から要約しています。

御朱印吸取紙より

御朱印帳に付けてくださる吸取紙に、国分寺の由緒が書かれています。

以下に転載します。

寺伝によると、大化元年(645年)末に孝徳天皇が長柄豊崎宮を造営するも、崩御の後、斉明天皇により飛鳥板 蓋宮へ遷都される。その後、入唐大阿闍梨道昭、勅を奉じて先帝の菩提を祈るため難波長柄豊崎宮の旧址に一宇を 建立し「長柄寺」と称す、仏教に深く帰依した聖武天皇により天平十三年(741年)一国一寺の「国分寺建立の詔」 を公布、既存の「長柄寺」を摂津国国分寺(金光明四天王護国之寺)として定める。世俗「長柄の国分寺」と称され、今 日まで歴代天皇十四帝の勅願道場として由緒ある法灯を伝してきた。

その後、長い歴史の中幾度も戦火に晒され、中でも豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣で焼け落ち、およそ百年にわた 荒廃の極みであった。しかし江戸時代、享保三年(1718年)に中興の祖、律師快園により伽藍が再建され文献 に登場する。

『攝津名所圖會大成 暁鐘成 1855(安政二)年~巻之一 国分寺 国分寺村二あり長柄にるを以て世俗長柄の国分寺といふ正國山金剛院と號す真言律宗 本尊 阿彌陀佛 座像長三尺五寸許聖徳太子御作地藏堂 本堂東傍二あり俗二敷石地蔵尊といふ其はじめ、玉造鍵屋坂にあり をこに還すといふ敷石地蔵尊 初め玉造鍵屋坂にありしなり。○護摩堂 本堂の前西傍二あり本尊不動 明王長三尺五寸許 弘法大師作にして俗ニ赤不動と稱す左右二羯羅制多伽の両童子を安す前に毘沙門天王脇士 左愛染明王 右觀世音 本尊不動明王ハ其はじめハ高野山に安置の尊像なりとぞばあらたなりといふ○當寺本願 聖武天皇開基僧正にして国毎に建答ありし國分寺の其寺なり荒蕪の後比丘中興して体 院となる国分寺料むかしい一萬五千束其餘料の事延喜式および文徳實録にも見へたり又東生郡にも国分寺あ り何れ一箇寺八國分尼寺の跡なるべし後人尚考ふべし』

このような伽藍は明治の廃仏毀釈などの混乱期に境内地が縮小され明治三十年(1897年)には時の座主教 昇により諸堂修営され聖武天皇尊殿や記念碑が建立されるも、昭和九年の室戸台風により甚大な被害を受け、更 には昭和二十年(1945年)第二次大戦の大阪大空襲により旧書院門(現山門)を残し寺宝諸共灰燼に帰した。 戦後、境内地は区画整理や一部官有地であった為、大幅に縮小されるも、順次再興し、昭和四十年(1965年) 昭和金堂を天平の古式にのっとり落慶、昭和五九年(1984年)弘法大師千百五十年御遠忌の頃現在の姿となる。平成三十年(2018年)には快園律師中興三〇〇年記念大法会を執行し先徳を偲んだ。国分寺由緒

寺前掲示板より(真言宗国分寺派について)

お寺の壁東面に大きな案内板があります。

ここから国分寺と国分寺派の歴史を垣間見られます。

約言しますと、日本帝国が繰り返し行なってきた朝令暮改のため、寺院・宗派・宗教団体などがこぞって性格変換を迫られ、このような動向に対して、戦後、宗派として安定させた歴史です。

以下に掲示を要約します。

古代から、国分寺は勅願道場として機能してきました。そのため、一宗一派に属していませんでした。

江戸時代中頃、日本国中巡回遊行において、幕府の朱印をもって関所道中御免の鑑札発行の特権を与えられました。

これにより、四国・西国の各霊場巡拝の旅券発行の権利をもつようになり、全国各地に有縁の衆徒を抱えていきました。それとともに、在家信仰者の本山となりました。

1874年の大政官符により、真言宗教王護国寺所属となり、また、東大寺をはじめ奈良各宗の所属ともなりました。

そして、四宗兼学の時代を経て、明治末期に高野山に合併されたうえ、真言宗山階派とも深い関係をもち、歴代座主の僧籍によってしばしば所属が変るような状態になりました。

アジア太平洋戦争の時期、組織合同の流れは企業だけでなく宗教界にも波及し、真言宗各派も合同によって一つの宗派にまとまりました。

ところが、終戦後に各派が分散し、真言宗も数十派に分かれました。

法律の改正ごとに宗務行政が変わると、寺院の性格や風格が衰退する危機感から、国分寺を中心に真言宗国分寺派が形成されました。

具体的にみますと、

  • 1947年2月8日…文部大臣の認証を獲得
  • 1953年5月8日…宗教法人法の実施により登記を完了

という流れで真言宗国分寺派が誕生しました。

関連情報

国分寺で書いて頂ける御朱印。2022年6月13日、国分寺(大阪市北区)にて撮影。

このような御朱印を国分寺で書いていただけます。

当寺のキャラクターは「こきょうくん」と「みのりちゃん」の兄妹。

国分寺は四つの霊場や札所に指定されています。

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