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仏像の歴史:インド

仏像スタイル
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前史

紀元前6世紀

紀元前6世紀の終わり頃、釈迦族の王子としてシャカ(釈尊/ブッダ)が誕生し、修行の末に悟りをひらき、仏教を広めはじめました。

諸経典には、釈尊像が在世中に作られたと記述するものもありますが、釈尊の在世中も紀元後1世紀の終りごろまで、釈尊像が作られた事実は発見できません。

この時期の仏教美術はジャンルが限られています。

  • 釈尊の舎利(遺骨)を納めた塔の周囲の装飾
  • ブッダガヤの菩提樹の周囲にめぐらせた玉垣の装飾

いずれの装飾も、仏伝や前世の物語(本生譚)を浮彫して表現したもの。

釈尊像が1世紀の終りから2世紀にかけて作りはじめられた地域はパキスタンの北部ガンダーラ地方と、インドのガンジス河支流ヤムナ河畔のマトゥラ地方。このころの仏像には2つの種類があります。

  • 美しい装身具をつけた王者の形姿(のちの菩薩形の典拠)
  • 装飾をつけず質素な衣服を纏った形姿(出家姿でのちの如来形の典拠)

紀元前3世紀

紀元前3世紀はアショカ王が活躍していた時代。

この頃から仏教はインドの広範囲に広まっていました。

それとともに仏教とインド民族宗教や民間信仰との融合が生じ、神々を仏教の守護神として組み込むようになりました。

四天王帝釈天をはじめ、寺門神としての薬男・女神像が仏像成立以前の早期から塔門などに作られています。

これら諸天像の表現はインド貴人の形姿を表現したもので、後世の天部像とは異なる姿した。

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誕生期:仏像のはじまり

仏様を仏像として作ることができるようになったきっかけはクシャーナ朝のカニシカ1世。

それまで仏教では偶像崇拝を禁止していたので、仏様ではなく人間の模写として偶像を作るに過ぎませんでした。

仏像が成立して間もなく、経典では、仏や菩薩の形姿の特徴を三十二相・八十種に規定する傾向がありました。

それらの規定は後世まで忠実に守られました。

隆盛期:2世紀から5世紀頃まで

sasi sutralaによるPixabayからの画像

北インドではガンジス河流域地方を中心に、南インドではアマラーヴァティのガルジュナコンダで、さかんに仏像が作られました。

デカン高原地方ではアジャンター&エローラ石窟寺院で仏像製作が展開。

エローラ石窟寺院の内部には本尊も作られました。

中世になるとガンジス河流域地方では、ナーランダが中心に。ここは仏教研究の中心地として10世紀まで栄えました。

3世紀・4世紀から、弥勒菩薩観音菩薩仏像をはじめ、 菩薩の種類が増えました。

中世期には忿怒形の仏像などもみえはじめます。

それとともにヒンドゥー教の神々で、守護神として仏教化されたものが急増。

この時代にはインド仏教は密教的信仰が中心となっていったわけです。

衰退期:10世紀以降

10世紀以降、ラマ教像に近い仏教像も作られはじめました。

しかし、13世紀のはじめごろからイスラム教のインド侵入によって、インドでの仏像造立は終末を迎えました。

 

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