中国に仏教が伝えられたのは1世紀のころ。
4世紀初めまでの仏教遺跡や仏教遺物で現存するものはありません。
菩薩像
4世紀以降、ガンダーラ彫刻の影響を受けた金銅製の菩薩像が作られはじめました。
石窟寺院と大仏群
敦煌石窟が作られだしたのもこの頃(宋・元時代まで)。
5世紀以降、雲崗石窟をはじめ、麦積山石窟・龍門石窟・天龍山石窟などの石窟寺院がインドの風習にならって作られつづけました。
石窟寺院には必ずといっていいほど大仏が隣接してたくさん彫られていきました。いわゆる摩崖仏。

龍門石窟。qingwumingによるPixabayからの画像
主都には大寺院が建設されました。
それにつづいて弥勒如来・阿弥陀如来・薬師如来などの仏像が、さまざまな守護神像とともに作られました。
石窟周囲の壁面を装飾するものには、仏伝や本生譚をあらわす彫刻や絵画も登場。
6世紀以降、如来像や菩薩像ではインド的な風貌がうすれ、細く丈の高い中国的肉体表現と顔をもったものに変わっていきます。
しばらくすると、「法華経」「華厳経」などの経典に述べられる物語がテーマになっていきます。
隋唐の時代なると、観音像をはじめ、複雑な釈迦説法図や浄土図なども描かれます。
まとめ
このように、中国の仏教美術はインドやガンダーラよりも多彩な内容をもちました。
仏像から物語へと、文化財のテーマも広がっていきました。
インドから中国への仏教輸入は宋時代まで続きましたが、宋代の仏教美術には、もはやインドの影響はほぼ見られません。
元代以降のラマ教美術にはインドではなくチベット(西蔵)の仏教美術の影響が濃厚でした。
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