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西域仏教

歴史
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概要

西域仏教さいいきぶっきょうとは中国に西方で隣接する「西域」の仏教のこと。

地域柄、インド仏教から大きな影響をうけ、中国仏教に大きな影響を与えました。

11世紀、西域がイスラム教徒(回教徒)の侵略で滅びるまで、仏教の信仰が盛んでした。

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資料発掘

MakaluによるPixabayからの画像

現在の西域はトルキスタンともいい、おもにテュルク系民族が居住する中央アジア。

この地域では砂漠化が数千年にわたり続いてきたことから、仏教状勢を知る手がかりが乏しく、敦煌から発見された資料、中国求法僧の旅行記、考古学的発掘品などから推定できる程度。

仏教隆盛国

仏教の盛んだった国を掘りだすと、次のような具合です。

  • 大月氏国(トカーラ)
  • 安息国(パルティア)
  • 康居国(キルギーズ)
  • ソグディアナ
  • 于闐国(ウテン)
  • 和闐(ホタン)
  • 亀茲国(クッチャ)
  • 疏勒(カシュガル、喀什喝爾)
  • 高昌国(トゥルファン、吐魯蕃)
  • 賓国(カシミール、迦湿弥羅)
  • 健陀羅国(ガンダーラ

歴史

西城仏教は、紀元前260年頃にアショカ王が派遣した仏教伝道使のマハーラッキタ(Mahārakkhita)やマッジャンティカ(Majjhantika)たちが伝えました。

西北インドのヨーナ国

MariaによるPixabayからの画像

マハーラッキタはおもに西北インドのギリシャ植民地(ヨナ国)に布教し、その流れはアフガンに拡大。

やがてはバクトリア地方に入って安息康居に伸び、のちに当地へ流入した大月氏族も信奉しました。

当地の仏教は2世紀中頃から4世紀初頭までが最盛期でした。

カシミール・ガンダーラ

BHASKAR JOSHIによるPixabayからの画像

マッジャンティカはカシミール・ガンダーラ方面へ伝道しました。

当地の仏教は、大月氏の領土となってから急速に盛んとなり、カニシュカ王の治世に最盛期を迎えました。

とくにガンダーラは当時の仏教の中心地でした。

小括

以上の2系統が、3世紀から西城の東へと伸び(東進)、インドから中国へ仏教が拡がるルーツでした。

そして、北道の亀茲や南道の于聞はその最大の根拠地でした。

人物

中国へ赴いた布教僧や訳経僧のほとんどが西域の人たちでした。

  • 安息国出身…安世高、安玄、安法欽、安法賢
  • 康居国出身…康臣、康僧鎧、康僧会
  • 于闐国出身…実叉難陀、智厳
  • 亀茲国出身…帛延、帛尸梨蜜多羅、帛元信、帛法炬、白法祖、鳩摩羅什

他にもたくさんいらっしゃいます。

3世紀以後の仏教状勢

西城諸国における仏教状勢はまちまち。

  • 安息・康居・ 亀茲…大乗仏教と小乗仏教の混在
  • 疏賓・ 健陀羅…小乗仏教が盛ん
  • 高昌・于闐…大乗仏教が盛ん

仏教の拡大とともに仏塔・彫刻・絵画も発達。

経典の編纂筆写・改竄製・翻訳なども盛んに行なわれました。

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