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中国仏教

歴史
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概要

不空らのお経の漢訳、空海・最澄らの中国留学、仏像輸入や七福神信仰など、日本の宗教界に大きな影響を与えました。

インド仏教の翻訳を土台に、石窟寺院から平地の寺院へ広く展開していった歴史をたどります。

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特徴

日本仏教への影響は1の段階、日本の仏教習慣への影響は2の段階。

  1. インドから輸入して以降、仏教が定着するまで、翻訳の努力と解釈・批判のラッシュ
  2. 仏教が定着したのは宋の時代で、民衆の信仰習慣が形成され、ひろく伝播
  3. 近現代をとおして、教・禅の二分法が主流となって、宗派が減少してシンプルに

仏教は、インドから中国へ伝来して以降、道教や儒教など、中国側の伝統思想から多くの批判を受けてきました。

やがて仏教は中国に適応。

仏教本来の性格を保持・発展させました。

そして、中国文化の諸領域にふかい影響をおよぼし、政治だけでなく国民生活をも支配。

中国仏教の歴史は思想史・信仰史ともいえるスケールの大きい様相を示しました。

日本仏教への影響

日本仏教の源流は中国にあり、仏教の源流はインドにあます。

また、インド仏教を知る資料は、ほとんど漢訳仏典に保存されています。

そのため、日本仏教がインド仏教やその歴史を知るには、中国漢字の習得と中国仏教の理解が必要でした。

歴史

伝来

仏教の中国初伝は紀元前2年、西暦65年などの異説があります。

実際のところ、1世紀後半から西域地方の僧侶が来訪し、帝王・貴族の庇護下に都から地方へと伝播したようです。

のちの十数世紀にわたり、中国風の思想や社会との対立論争や適合が行なわれました。

受容

仏教の輸入初期、中国の民俗性や類似性の角度から受容されました。

ブッダを黄帝・老子と並べて祀り、呪術や神秘的力による神仙道とも考えられました。

格義仏教

4世紀頃から、仏教の理解を中国思想で表現し、たとえば仏教の空を老荘思想の無で解釈するようなスタンスが見られます。

このスタンスを格義仏教といいます。

仏教批判

仏教をあくまで外国思想としてとらえ、中華の自尊心や倫理道徳から、現世否定的は側面に対して批判が加えられました。

仏教側は、偽作された経典や中国向きの書物を作ったりして、仏教の自己弁護が 10世紀頃まで続きました。

官制仏教

他方、仏教伝来の当初から、王朝の庇護下に普及した側面もありました。

歴代王朝から、統制官の僧侶が任命されたり、官寺が次々と建てられたり。

このように仏教は、国家との結びつきが強く、一部に仏僧は国家権力の外にあるとして王権を拒否しようとする側面もありました。

三武一宗の法難に代表される仏教迫害は中国皇帝(天子)の手によるもので、官制仏教は皇帝の一存で左右されました。

定着

以上のように、伝統思想や歴史社会と仏教は対立・融合を繰り返しているうちに、中国では儒仏道の三教の一致説が生じました。

宋代以後はだいたい、仏教は中国社会に融けこみ、中国思想の中核部分をなしました。

まとめ

中国仏教の展開を内部からみると、西暦は400 年ごろまでが経典の翻訳や中国思想による理解の時代です。

鳩摩羅什の漢訳を画期として、仏教本来の研究の時期や学派発生の時代です。

唐の時代になると、中国仏教が 三論・天台・華厳・ 法相・密教・律・禅・浄土 などの宗派あるいは法系が確立しました。

唐末以後中華民国までは、祖述や持続の時代です。

また、中国思想との融合が仏教的にも学問的にも深化して民衆にも浸透。大蔵経の開板印刷など仏教文化が盛行した時代です。

のちに仏教は、おもに教と禅の二系統に理解されるようになり、教禅一致の説も登場。

教禅2系統や教禅一致というシンプルな中国仏教の特徴は、日本とは異なります。また、宗派意識が少ない特徴も、シンプルさを示しています。

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