長安は中国史上で最も有名な古都です。とくに兵馬俑坑は世界的に知られています。
いまは西安市といい、中華人民共和国陝西省にあります。
長安は黄河流域にあり、漢代から唐代までの1,000年間、前漢・西魏・北周・隋・唐の首都。
隋・唐の時代には人口100万を有する世界最大の国際都市でした。
宗教面では中国古来の宗教、仏教、祆教(ゾロアスター教)、摩尼教、景教(キリスト教ネストリウス派)などがそれぞれ寺院を建てています。
ほかの王朝下でも重要な都市で、また、仏教の発展のうえで、洛陽とならび、とても重要な役割を演じてきました。
地理的要衝
古代中国の歴代王朝は仏教を庇護し、中国の歴史とともに仏教も発展しました。
仏教の伝来は、ほとんどが西域をとおして行なわれ、長安は、西方諸国に近い都市でした。
中国の初期仏教は、西方からの外国僧や西北方民族と交流したことで発展しました。
長安はその交流点となり、伝来者の多くは、この地を通ったり留まったりしました。
中国の初期仏教
中国の初期仏教のうち、西域との仏教交流で主だったことは次のとおりです。
隋代・唐代の仏教
隋代・唐代になると、南方に広まった三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎宗・律宗・真言宗・三階教が長安を中心に栄えました。
浄土教の善導や禅宗の神秀も弘法しています。
長安の有名仏寺
古代の西域交流や隋代・唐代の根拠となった仏寺はいろいろ。
訳場
- 大興善寺
- 弘福寺
- 大薦福寺
道場
これらの寺院には日本僧の歴訪もたくさんありました。
日本の留学僧の多くもこの地を訪れ、空海はじめ円仁・円珍らは晋昌坊の青龍寺、永忠・高岳親王らは延康坊の西明寺に住して修行。
鳩摩羅什や不空ら密教家・訳業家たちはこの地を舞台に活躍しました。
官寺
そのほか、諸州に建立した官寺の大雲寺・ 中興寺・開元寺などの中心でもありました。
衰退
しかし、宋代以後は政治の中心でなくなりました。
また、仏教が中国各地に浸透したこともあり、長安は以前のような仏教の中心地ではなくなりました。
[]https://buddhist-temples.net/gallery-tracks-of-terracotta-warriors-and-horses/
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