人物
恵果は、唐代の真言僧で青龍寺の和尚を勤めました。
京兆昭応(中国陝西省西安府臨滝県)の出身。
密教付法第七祖や真言五祖の一人。
746年に生まれ、805年に没しました。
キャリア
不空三蔵から密教を受けました。
唐の代宗から指示され、内道場(宮中内の修法場)の護持僧となりました。
在世中、代宗・徳宗・順宗3帝の尊崇を受け、三朝の国師と称されました。
十八契印・灌頂儀軌などの著書があります。
805年、空海に法を授け、入唐中の空海は勅により碑文を撰しました。
経歴
幼時に出家して、青龍寺聖仏院の曇貞、ついで不空に師事しました。
765年に具足戒を受けて、不空から密法を授かり伝法阿闍梨となりました。
767年、善無長門の玄超から「胎蔵法」を授与。
775年、青龍寺東塔院に毘盧遮那灌頂道場を賜ります。勅により宮中の内道場護持僧に任じられ、京城の諸寺をめぐって修法を行ないました。
780年(唐・徳宗)に訶陵国の著弘が「胎蔵法」を求め、翌年、新羅の恵日・悟真にも密法を授けました。
789年、雨を祈って徳宗の帰依を受けます。
802年に罹病し、隠退を乞うも許されず。
義明らに衣鉢を付嘱して、804年に弟子の義智のために醴泉寺に金剛界曼荼羅を建立。
般若の大徳が法筵に臨み請雨の法験がありました。
805年、日本から留学してきた僧侶空海にたいし、6~8月に胎蔵界大法・金剛界大法と諸尊法50法を授け、付法の図画法具も付与。
12月に発病して東塔院で入寂。長安城外龍原の不空三蔵の塔側に葬られました。
空海は門下を代表して碑文(大唐神都青龍寺故三朝国師灌頂阿闍梨恵果和尚之碑・性霊集巻二)を撰しました。翌806年、弟子の呉殿は行状を記しました。
業績
著書
- 十八契印
- 大日如来剣印
- 阿闍梨大曼荼羅灌頂軌
- 金剛界金剛密号
- 灌頂記秘密決疑
弟子
両部伝法
恵応・恵則・惟尚・普弘・恵日・空海・義満・義明・義照・義操・義愍など。
胎蔵法単伝
悟真・義澄・法潤など。
金剛界単伝
義政・義一・呉殷・義智・義円など。
その他
義恒・義雲・智興・行堅・円通・義倫・義潤・開丕たちも受法。
コメント お気軽に♬