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天台宗鶴満寺(大阪市北区)

北区
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大阪市内の仏教寺院を自転車遍路。山門・境内・お花たちの長閑な風景を紹介しています。
最近の関心事は3つ。

  1. 仏像を写す
  2. 毎日の勤行に真言宗のお経を読む
  3. 終活に仏寺めぐりを考える
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天台宗鶴満寺(大阪市北区)

  • 宗旨:天台宗
  • 宗派:天台真盛宗
  • 山号:雲松山
  • 院号:
  • 寺号:鶴満寺(大阪別院)
  • よみ:かくまんじ
  • 本尊:阿弥陀如来
  • 所在地:大阪市北区長柄東1-3-12

2022年1月25日2022年3月4日、2022年5月24日、2023年1月1日に撮影。

天台宗鶴満寺(大阪市北区)へ仏寺めぐり。2022年1月25日に寺院めぐりと寺門寺禱。

天台宗鶴満寺(大阪市北区)へ仏寺めぐり。2022年1月25日に寺院めぐりと寺門寺禱。

天台宗鶴満寺(大阪市北区)へ仏寺めぐり。2022年1月25日に寺院めぐりと寺門寺禱。

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2022年3月4日

1月に近所を通った時は門が閉まっていて寺門だけを撮したのですが、今日はたまたま門が空いていました。

少し都会の中の佇んだ気分と時間を過ごさせていただきました。フクロウの像が祀ってあって可愛かったです。

大阪市のなかでは珍しく規模の大きい寺院です。

天台宗(天台真盛宗)鶴満寺(大阪市北区)。2022年3月4日に寺院めぐりと寺門寺禱。

天台宗(天台真盛宗)鶴満寺(大阪市北区)。鶴満寺本堂1棟が大阪市指定文化財。2022年3月4日に寺院めぐりと寺門寺禱。

天台宗(天台真盛宗)鶴満寺(大阪市北区)。2022年3月4日に寺院めぐりと寺門寺禱。

天台宗(天台真盛宗)鶴満寺(大阪市北区)。2022年3月4日に寺院めぐりと寺門寺禱。

天台宗(天台真盛宗)鶴満寺(大阪市北区)。2022年3月4日に寺院めぐりと寺門寺禱。

天台宗(天台真盛宗)鶴満寺(大阪市北区)。2022年3月4日に寺院めぐりと寺門寺禱。

天台宗(天台真盛宗)鶴満寺(大阪市北区)。2022年3月4日に寺院めぐりと寺門寺禱。

鶴満寺は新西国霊場第3番です。

天台宗(天台真盛宗)鶴満寺(大阪市北区)。2022年3月4日に寺院めぐりと寺門寺禱。

2022年5月24日、新しい自転車を買ったので、家へ向かう途中で記念撮影。

天台宗鶴満寺(大阪市北区)へ仏寺めぐり。2022年5月24日に撮影。

天台宗鶴満寺(大阪市北区)へ仏寺めぐり。2022年5月24日に撮影。

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正月開門:2023年1月1日

珍しく山門が開いていました。

天台真盛宗雲松山鶴満寺(大阪別院)、大阪市北区長柄東1-3-12。2023年1月1日に撮影。

天台真盛宗雲松山鶴満寺(大阪別院)、大阪市北区長柄東1-3-12。2023年1月1日に撮影。

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2023年3月30日

鶴満寺(大阪別院)横のサクラ。大阪市北区長柄東1-3-12。

鶴満寺(大阪別院)横のサクラ。大阪市北区長柄東1-3-12。

鶴満寺(大阪別院)横のサクラ。大阪市北区長柄東1-3-12。

大阪府に桜の満開宣言が出て3日。

仕事帰りに鶴満寺の横を通ったところ、塔が桜に隠れるようなアングルばかりになって不思議な空間でした。

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大阪市指定文化財

鶴満寺本堂1棟が大阪市指定文化財になっています。

分野・部門は有形文化財・建造物

鶴満寺保育所・特別養護老人ホーム「鶴満寺聚楽院」

鶴満寺は鶴満寺保育所と特別養護老人ホーム「鶴満寺聚楽院」を運営しています。

鶴満寺保育所

鶴満寺保育所 | 鶴満寺保育所:当園について、保育内容、園での生活、入園のご案内、採用情報など。保護者専用鶴満寺の境内で保育がはじまり70年以上。地域の方が参加できる保育所行事も。

特別養護老人ホーム「鶴満寺聚楽院」

鶴満寺聚楽院の介護サービスの種類は「短期入所生活介護」です。事業所の形態は「空床利用型」。

詳しくは大阪府のホームページ(事業所の詳細 | 特別養護老人ホーム 鶴満寺聚楽院 | 大阪府 | 介護事業所・生活関連情報検索「介護サービス情報公表システム」)をご参照ください。

関連情報

鶴満寺は大阪市「歴史の散歩道」に指定されています。

また、鶴満寺本堂は大阪市指定文化財に指定されています。

  • 鶴満寺本堂 1棟大阪市指定文化財の公式ホームページ。紹介、用語解説、参考文献など。

住所

鶴満寺の住所は、大阪府大阪市北区長柄東1丁目3-12です。この場所は、市内の住宅街に位置し、静かな環境の中で歴史を感じられる寺院として存在しています。

アクセス

鶴満寺へのアクセスは、大阪メトロ堺筋線または谷町線の天神橋筋六丁目駅から東へ徒歩約5分です。また、阪急電鉄千里線の同駅からも同様に徒歩約5分で到着可能です。JR大阪環状線の天満駅からは徒歩約13分かかります。周辺にコインパーキングがございますので、車での訪問も可能です。徒歩1分程のところに真言宗国分寺もあります。

宗旨

鶴満寺の宗旨は、天台真盛宗に属します。この宗派は、天台宗の教えを基盤とし、真盛上人の教えを重視したもので、阿弥陀如来への信仰を中心に、衆生の救済を目的としています。

本尊

鶴満寺の本尊は、阿弥陀如来です。この像は大阪府指定の有形文化財に指定されており、伝承では慈覚大師(円仁)の作とされています。穏やかな表情が特徴で、参拝者に安らぎを与えます。

所蔵品

鶴満寺には、数多くの貴重な文化遺産が所蔵されており、特に仏像や美術品が注目されます。まず、本尊の木造阿弥陀如来立像は、鎌倉時代に制作されたもので、大阪府指定有形文化財です。この像は、細やかな彫刻技法が施され、衣紋の流れや表情の優しさが、仏教美術の優れた例として評価されています。伝承によると、慈覚大師が自ら彫ったとされ、信仰の対象となっています。

次に、絹本著色千手観音像は、鎌倉時代のもので、これも大阪府指定有形文化財です。この絵画は、千手観音の多臂を鮮やかな色彩で描き、慈悲の象徴として堂内に安置されています。保存状態が良好で、細部まで観察可能です。また、紙本墨画釈迦三尊像は、大阪市指定有形文化財で、墨の濃淡を活かした簡素ながら力強い表現が特徴です。釈迦如来を中心に脇侍が配置され、禅の影響を感じさせる作品です。

さらに、絹本著色天台大師像も大阪市指定有形文化財で、天台宗の祖である最澄の姿を彩色豊かに描いています。この像は、宗派の歴史を象徴する重要な遺産です。観音堂には子安観音が本尊として祀られており、これは霊元法皇の後宮である新大納言お局が、皇子の安産祈願のために刻んだと伝えられます。安産や子授けのご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れます。

百体観音は、西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の札所本尊を模した計百体の観音像で、観音堂に安置されています。これにより、一度の参拝で百ヶ所の霊場を巡った功徳が得られると信じられています。堂は八角塔楼閣付きの独特な建築で、1933年に再建されました。かつて明治18年の洪水で流失しましたが、再安置され、現在もガラス越しに拝観可能です。

その他の文化遺産として、国指定重要文化財の銅鐘(朝鮮鐘)があります。これは高麗時代初期の太平10年(1030年)に鋳造されたもので、山口県の普済寺から寄進されました。鐘の銘文が歴史的価値を高め、現在は大阪歴史博物館に寄託されていますが、境内には鐘楼が残り、寺のシンボルとなっています。また、大岡越前守が寄進したとされる猿燈篭や、俳人鬼貫の供養碑(文化9年建立)があり、碑には「おもしろさ急には見えぬすすきかな」の句が刻まれています。これらの所蔵品は、鶴満寺の豊かな文化遺産を形成し、仏教美術や歴史研究の観点から重要です。

  • 木造阿弥陀如来立像(大阪府指定有形文化財)
  • 絹本著色千手観音像(大阪府指定有形文化財)
  • 紙本墨画釈迦三尊像(大阪市指定有形文化財)
  • 絹本著色天台大師像(大阪市指定有形文化財)
  • 銅鐘(重要文化財)
  • 子安観音
  • 百体観音

歴史

鶴満寺の歴史は、古く奈良時代に遡ります。寺伝によると、大和国で創建されたと伝えられ、その後伊勢国、河内国、摂津国南方村と移転を繰り返しました。この移転の背景には、時代ごとの社会変動や寺院の存続のための適応があったと考えられます。初期の創建は、仏教の伝来期に位置づけられ、慈覚大師(円仁)が関わったとされる阿弥陀如来像の存在が、その古さを物語っています。

江戸時代中期に入り、鶴満寺は大きな転機を迎えます。寛保3年(1743年)、大阪の豪商である上田宗右衛門広久が、荒廃していた寺の名跡を譲り受け、現在の大阪市北区長柄の地に移転しました。当時は新規寺院の建立が禁じられていたため、このような移転再建が一般的でした。上田宗右衛門は、京都の上善寺から僧・忍鎧を招き、中興の祖として迎え入れました。忍鎧上人は、宝暦3年(1753年)に堂宇を完成させ、七堂伽藍を備えた大寺院として再生させました。この時期、寺の予定地近くの松に鶴が巣をかけて雛を育てたという珍しい出来事が起こり、「鶴満寺に鶴が来る」と大坂中で評判になり、縁起の良い寺として人々の信仰を集めました。

本堂の建設は、寛延3年(1750年)に着工され、宝暦2年(1752年)に上棟、宝暦3年(1753年)に竣工しました。この本堂は、大阪市指定有形文化財で、天台真盛宗の複合本堂形式を伝える建築史的に貴重なものです。観音堂の子安観音は、忍鎧によって安置され、新西国三十三箇所の第3番札所となりました。境内は桜の名所として知られ、江戸時代の錦絵『浪花百景』や古典落語「鶴満寺」にその賑わいが描かれています。桜の下に百体観音を安置し、参拝者は風流を楽しんだと記録されています。

しかし、明治時代に災難が訪れます。明治18年(1885年)の淀川大洪水で、境内の多くが流失し、桜の木が枯れ、百体観音像も失われました。この洪水は、大阪地域に大きな被害をもたらし、鶴満寺も深刻な打撃を受けました。それでも、寺の祈りは途切れず、観音堂は昭和8年(1933年)に再建され、百体観音も再安置されました。昭和60年(1985年)には、道路拡張工事のため本堂の向きが南から西に変更され、現在の姿となりました。

現代においても、鶴満寺は新西国三十三所の札所として巡礼者を迎え入れています。境内には、特別養護老人ホーム鶴満寺聚楽院や鶴満寺保育所が併設され、社会福祉の役割も果たしています。南隣に黄檗宗の正徳寺、向かいに淀川天神社があり、周辺の宗教文化を形成しています。このように、鶴満寺の歴史は、創建から移転、再建、災害克服を経て、今日の静かな祈りの場を築き上げたものです。全体として、奈良時代からの長い伝統を保持しつつ、江戸期の豪商の貢献と近代の復興が、寺の独自性を高めています。

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