自分に向き合うきっかけを仏教は提供してくれます。
哲学のくどい他人向け屁理屈と仏教は違います。
水の流れや水の音、風の流れや風の音に心を澄ませることで、頼りにならない他人からも、頭が悪く頑固な自分からも解放され、ブッダと向き合っていきたいものです。
宗教に触れる:宗教の効果とメリット
宗教の効果
仏教は世界三大宗教や五大宗教の一つです。
そもそも宗教は大きく哲学と比べると特徴がわかりやすいです。
宗教は物事を善と悪、自と他、可と否のように二つに分けます。
この考え方は二分法ですのでそれなりに限界もあります。
哲学との違い
本当に二つに分けられるのか。
これを追求するのが哲学です。
善と悪をテーマにした場合、哲学の考え方は仏教より前に進み、善のなかに善や悪を見いだし、悪のなかにも善や悪を見いだすように、分類をつづけていきます。
20代30代のように脳みそが活発で活性化している時期に哲学を勉強することはそれなりの効果があります。
しかし、40代以降に脳みそが鈍化していくにつれ、哲学の考え方だと落ちがないことに気づきはじめます。
「いろんな考え方がある」や「相手が間違っている」で終わってしまう哲学の無責任な態度や発想に嫌気がさしてきます。
宗教のメリット
そうなると二分法の限界はあるとはいえ、善と悪や自と他というシンプルな考え方の宗教が21世紀には大切だ、と私は考えます。
宗教とは心の安らぎと究極の真理を求める精神活動です。何も自分の能力や人間の能力を超えたものを求めます。
そんな能力は存在しないと思う人たちも多いのですが、人間を信用するよりも、そういう能力を信用したほうがまっとうな気もします(笑)
仏教に触れる:仏教の効果やメリット
学界よりも効果的で普及的
学界では、現代社会は競争社会だといわれるわりに打開策をまったく提起できませんでした。
現代日本の大学が示す惨状を思い起こしてください。
これに対して仏界は次の2点で人間に安心やくつろぎの効果を与えてくれます。
- よりどころを提起してくれる
- よりどころから自分を考え直せる
寺門や本尊などで禱るのもよし、拝むのもよし。
歴史からみたメリット
仏教は紀元前5世紀ころに釈迦を開祖として、古代インドに起こった宗教です。
世界各地への広い普及は歴史が教えるところです。
仏教は宗派の対立こそあれ、政者だけでなく民衆をも土台に展開してきた歴史に私は安心を抱きます。
宗旨間・宗派間コミュニケーション
世界にはいろんな地域があり、いろんな宗教があります。
日本では無宗教の人が多いですが、歴史的にもグローバル的にも無宗教の人たちは珍しいくらいです。
コミュニケーションの大切さ
それでも日本では檀家制度が根づよく維持されてきたので、おおまかに仏教を自分の宗教に思う人が多いのも確か。
コミュニケーション能力を磨くために、檀家制度を使っている方は人との会話で宗派を公に話してもいいように私は思っています。
先にふれたように、宗教は哲学と違ってシンプルな点が魅力です。
哲学は物事を複雑にするだけで到達点を示しません。これが哲学の歴史でした。
宗教もシンプルすぎて争いが世界史上たくさんありましたが、個人の所属を証明するときに宗派を言ってしまえば、宗教を身近に感じることができて、楽にコミュニケーションできるはずです。
ご参考までに姉妹ブログをご覧ください。コミュニケーションの取り方や重要性をまとめています。
コミュニケーションのポイント
コミュニケーションするときに、気をつけることがあります。
宗教の話をする範囲です。
自分の宗派の歴史や軽い自慢を語るに止めるのがポイントです。推薦したり勧誘したりすると嫌がられます。
一つのコツは、天下分け目の戦いや明治維新で自分の宗派や地域がどのチームに入って、どう展開したかです。
過去のことなら話がしやすく、関ヶ原や維新は日本史の定番ですから、話になりやすく、コミュニケーション相手とも話がしやすいのです。
私にとっての仏教
私が私に向き合うきっかけを仏教は提供してくれます。この姿勢に宗派の対立や違いは関係ありません。
ブッダや開祖にたいする解釈の違いを知りたくなれば、宗旨・宗派の教義などを勉強していけばいい話です。
ブッダと向き合いたい
哲学のくどい他人向け屁理屈と仏教は違います。
水の流れや水の音、風の流れや風の音に心を澄ませることで、頼りにならない他人からも頭が悪く頑固な自分からも解放され、ブッダと向き合っていきたいものです。