意味
楊柳観音は観音菩薩の変化形(三十三観音)の代表的な仏様として知られています。
千手観音の四十手のうち、楊柳手から現じた薬王観自在菩薩(薬王観音)と同体です。
形姿
基本形
手は施無畏印を結び、右手に柳枝を持っています。
千光眼経
「千光眼経」では、慈悲体の金色身体をしていて十一面。
左手を胸に当てて右手に楊柳枝を持ち、月輪中の紅蓮華座に坐しています。
難病除災を祈願。
キャリア
役割・御利益
楊柳の枝を加持して疫病を癒してくれます。
展開
古典「日本霊異記」(822年頃)
薬王観音として治癒のエピソードあり。
中山忠親「山槐記」1180年
1180年5月26日付で「今日奉供養楊柳観音却温神呪経尊勝陀羅尼勸堂也家中上下男女是毎年勤也讒中闍梨為導師」。
三十三間堂「楊枝のお加持」
京都・蓮華王院の三十三間堂では1月15日に楊枝浄水供養(楊枝のお加持)を行なっています。
インド伝来の修法で、平安時代から行なわれる蓮華王院最重の法要。
聖樹とされる 「楊枝」で観音菩薩に祈願した法水を参拝者に注ぎ、諸病を除いてくれます。とくに頭痛に効果あり。
世阿弥「養老」14世紀後半か15世紀前半
「われは此山さむし無の宮居又は楊柳観音菩薩」。
現代語訳:「楊柳観音菩薩だと名乗り、養老の山神が現れ…」。
観世信光「遊行柳」16世紀初頭
「朽ち木の柳たちまちに、楊柳観音と現はれ、今に絶えせぬ跡留めて」。
現代語訳:「朽木の柳がたちまち三十三観音の一つである楊柳観音となって現れ、今も衆生に利益をもたらし、参詣人が絶えず歩みを運ぶ霊地となっている」。
浮世草子「玉櫛笥」1695年
養老の滝について、「こゝはもとより楊柳観音の霊場にして神仙鎮護の名瀧なり」。
藤原政啓「讃岐府志」1737年
「天福寺、行基之遺蹤之基躬手刘弥陀藥王観音之三保安」。
簡約しますと、天福寺(香川県高松市)は行基の遺跡で、阿弥陀如来・薬王菩薩・観音菩薩の阿弥陀三尊を安置するとのこと。
ウィキペディア「天福寺」によると、
とあります。
「讃岐府志」の内容の精度によりますが、もし、天福寺に阿弥陀三尊が祀られていた(いる)点が新情報なら、面白いところです。
作者不詳「怪談御伽桜」1740年頃
「道成寺をつくってから悪念おこり、親の硯を湯にする事を専とし、江口の君に心をのまれ、働く盛に心とこめぬかりの世とくわんじ。島原の出口の柳を楊柳観音と見立、景清のめくらづかひに」。
遊女・江口の君については次の記事をご覧ください。
竹村立義「秩父霊場参詣記」(1824年)
「弘仁年中、弘法大師を禁中に召れ、帝の御脳を祈らせ給ふ。大師楊柳観音を彫刻し」。
これによると、弘法大師(空海)が楊柳観音の彫刻を製作しました。
朝岡興禎「古画備」1850年代
「駿河国矢部村久能寺什物楊柳観音小野於通筆筆意くまなくあさやかに見ゆ、木原貞敏記」。
文化財
刺繍楊柳観音像
- 染織
- 中国・元朝期
- 縦:59.8cm 横:37.7cm
- 1幅
- 楊柳観音像と善財童子を繍いあらわした1幅。上方に元僧愚極智慧による1295年の賛あり。
楊柳観音像
日本では江戸時代に自由なポーズをとる画題として人気。
- 絵画
- 白隠(臨済宗の禅僧)筆
- 江戸時代・18世紀
- 紙本墨画淡彩
- 57.1×17.9
- 1幅
コメント お気軽に♬