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西脇口地蔵(大阪市平野区)

お地蔵さん
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ギャラリー

2023年5月3日、西脇口地蔵(平野郷十三口)、大阪市平野区平野本町4丁目2−4にて撮影。
2023年5月3日、西脇口地蔵(平野郷十三口)、大阪市平野区平野本町4丁目2−4にて撮影。
2023年5月3日、子安地蔵尊。西脇口地蔵(平野郷十三口)、大阪市平野区平野本町4丁目2−4にて撮影。
2023年5月3日、初期消火用ポンプ。西脇口地蔵(平野郷十三口)、大阪市平野区平野本町4丁目2−4にて撮影。
2023年5月3日、平野郷町めぐりマップ。西脇口地蔵(平野郷十三口)、大阪市平野区平野本町4丁目2−4にて撮影。
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西脇口地蔵(平野郷十三口)

平野郷

この辺りは平野郷といって、古い町家や環濠跡などが、 歴史的・文化的な町並みを形成しています。

平野区は魅力ある平野郷をめざして「祭りちょうちんが似合うまちなみ」というテーマを掲げて、大阪市と連携した町づくりを推進。

西脇口地蔵

かつて、環濠には十三の出入口に木戸門が設置されて「十三口」と呼ばれていました。

各門の傍らには旅の安全や町内の繁栄を祈願して地蔵堂が祀られていました。

現在、 木戸門はすべて撤去されていますが、各口には社内入口を除いて地蔵堂が残されています。

西脇口地蔵堂もその一つで、 南口地蔵とも。西脇口(南口)門の傍らにありました。

この木戸口より南下すると、堺口の住吉、堺へ行く道と合流します。

地蔵堂前の東西の道は環跡です。西脇口地蔵は江戸時代に建立され、延命地蔵といわれていたようです。

今では、子安地蔵として親しまれています。

敷地内に「西脇口おじぞうさん広場」があります。

喜連環濠地区

喜連旧村の集落は1961年まで、中世からの濠に囲まれた「環濠集落」でした。

中高野街道などの主要道に通じる集落の出入口には、数百年もの間、集落を守るために地域住民が地蔵尊を祀ってきました。

環濠は江戸時代から次第に機能が変わりました。

農業・生活用水路として長く使われてきましたが、今では、すっかり埋められて道路となっています。

この地区には昔ながらの小路や築100年を超える寺社・蔵屋敷がたくさんあります。

それらが織りなす町並みは、しっとりとした歴史的景観を生み出しています。

東喜連では、江戸時代に環濠が消滅しましたが、1783年と1816年の絵図から、昔の東喜連環濠域を推定できます。

今では東喜連環濠域の南口にだけ地蔵堂が残っています。

この周辺は寺社などの建築物から昔の集落の面影が偲ばれます。

喜連・東喜連では毎年8月23日から24日にかけて地蔵盆が催され、地蔵堂は子供たちで賑わいます。

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