ギャラリー
北口地蔵尊
北口地蔵尊は喜連環濠集落の北の出入口に祀られ、16世紀前半、喜連城主細川氏綱の時代に創建されたと伝えられています。
1868年に環濠集落出入口の木戸が廃止され、1877年に地蔵堂が再建されました。
地蔵堂には石造の地蔵尊一体が東向きに鎮座されていて、お堂の前の道は高野山から熊野にいたる平安時代からの参拝道「中高野街道」。
昔は旅する人々や往来の人馬が多く、軒の大きなこの地蔵堂は雨宿りにも利用されました。
地蔵堂の北側は道路になっていますが、道幅の半分は1950年代まで環濠が残り、石垣が築かれて立派な石橋が架かっていました。
ボーリング調査により、環濠の深さは約3mだったと判明しています。
「松山橋」の橋名は地蔵堂北東一帯にかつてあった「松山」の字名に由来します。
江戸時代初期の古図に「松林山」の記載があります。
喜連城があった頃は実際に大松の繁る丘があり、古代は古墳で、江戸時代の新田開発により削り取られたようです。
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