大阪メトロ谷町線でお寺めぐり

北口地蔵尊

お地蔵さん
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ギャラリー

北口地蔵尊。2023年5月4日、大阪市平野区喜連3丁目7−18にて撮影。

北口地蔵尊。2023年5月4日、大阪市平野区喜連3丁目7−18にて撮影。

卍の屋根瓦。北口地蔵尊。2023年5月4日、大阪市平野区喜連3丁目7−18にて撮影。

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北口地蔵尊

北口地蔵尊は喜連環濠集落きれかんごうしゅうらくの北の出入口に祀られ、16世紀前半、喜連城主細川氏綱の時代に創建されたと伝えられています。

1868年に環濠集落出入口の木戸が廃止され、1877年に地蔵堂が再建されました。

地蔵堂には石造の地蔵尊一体が東向きに鎮座されていて、お堂の前の道は高野山から熊野にいたる平安時代からの参拝道「中高野街道」。

昔は旅する人々や往来の人馬が多く、軒の大きなこの地蔵堂は雨宿りにも利用されました。

地蔵堂の北側は道路になっていますが、道幅の半分は1950年代まで環濠が残り、石垣が築かれて立派な石橋が架かっていました。

ボーリング調査により、環濠の深さは約3mだったと判明しています。

「松山橋」の橋名は地蔵堂北東一帯にかつてあった「松山」の字名に由来します。

江戸時代初期の古図に「松林山」の記載があります。

喜連城があった頃は実際に大松の繁る丘があり、古代は古墳で、江戸時代の新田開発により削り取られたようです。

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