文化財保護法が制定された主因には法隆寺金堂の火災がありました。
ここでは、奈良県と京都府の観光名所、法隆寺と鹿苑寺金閣の火災から「文化財保護法」における国宝指定のドラマをまとめています。
文化財保護法が規定する国宝とは
「文化財保護法」は文化財を2段階で指定しています。
法文には次のように書いてあります。
第二十七条 文部科学大臣は、有形文化財のうち重要なものを重要文化財に指定することができる。
2 文部科学大臣は、重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものを国宝に指定することができる。文化財保護法
つまり、古文書・仏像・建造物などの有形文化財のうち、重要なものは重要文化財に指定されます。
そして、重要文化財のうち「たぐいない国民の宝たるもの」が国宝に指定されるわけです。
文化財保護法と法隆寺・金閣寺の運命
法隆寺火災により文化財保護法制定へ
1949年1月26日、奈良県の法隆寺金堂で火災がおこりました。
この火災で金堂の壁画が焼損。
これを契機に文化財を保護する法律、つまり「文化財保護法」を制定する動きが活発になりました。
そして、「文化財保護法」は1950年5月30日に公布、8月29日に施行されました。
類似の法律が戦前からいくつかありました。たとえば「国宝保存法」や「史蹟名勝天然紀念物保存法」などです。
「文化財保護法」はこれらを統合した法律でした。
「文化財保護法」は法隆寺金堂の火災によって制定されました。
法隆寺の金堂は壁画ととともに焼けましたが、この火災は解体修理中のもので、初層の裳階(もこし)部分と上層すべて、そして堂内の諸仏は焼失を免れました。
「文化財保護法」では全焼すると国宝指定が解除されます。
ですから、部分的な焼損にとどまった法隆寺の金堂は国宝に指定されたままでした。
他方、「文化財保護法」で国宝に指定されたにもかかわらず、数ヵ月後に指定を解除された不幸な事例もありました。
国宝指定を受けたばかりの金閣寺が火災に
そのケースが、全焼したために国宝ではなくなった京都の鹿苑寺金閣でした。
1950年8月29日の「文化財保護法」施行のまえ、7月2日未明に金閣寺放火事件がおこりました。
この放火事件は、のちに小説となって有名です。三島由紀夫『金閣寺』(1956年)や水上勉『五番町夕霧楼』(1962年)などです。
映画化された『五番町夕霧楼』には二つあります。
1963年版が佐久間良子主演、1980年版が松坂慶子主演です。私は1980年版をみたことがあります。
戦前の農村貧困を引きずった何とも重苦しい映画ですが、松坂慶子に萌えたことを今でも覚えています。
もとい、「文化財保護法」には、有形文化財が全焼したとき、国宝の指定から解除される規定があります。
第三章「有形文化財」第一節「重要文化財」のなかの第二十九条「解除」です。
第二十九条 国宝又は重要文化財が国宝又は重要文化財としての価値を失つた場合その他特殊の事由があるときは、文部科学大臣は、国宝又は重要文化財の指定を解除することができる。文化財保護法
有形文化財のうち重要なものが重要文化財、重要文化財のうち国民の宝たるものが国宝でした。
金閣寺は全焼し、「価値を失つた場合その他特殊の事由がある」ことから、なんと国宝の指定を解除されました。
つまり、国宝ではなくなったのです。
まとめ
この記事では、奈良県と京都府の観光名所である法隆寺と鹿苑寺金閣の火災から「文化財保護法」における国宝指定の顛末をさぐりました。
「文化財保護法」に保護された法隆寺と「文化財保護法」から見放された鹿苑寺金閣といえば、大袈裟でしょうか。
ちなみに、このような経緯から、金閣寺は国宝でなく、銀閣寺(慈照寺銀閣)が国宝であるわけです。
オンライン学習むけの情報
「文化財保護法」はデジタル庁が整備・運営するe-Govポータルにあります。
法隆寺と金閣寺の公式サイトもご紹介しておきます。
お寺巡りやオンライン学習のお供にどうぞ。
- 聖徳宗総本山 法隆寺…今回とりあげた火災では金堂の壁画が焼損しましたが、法隆寺金堂壁画ガラス原板が残っています。ガラス原版は金堂壁画の焼損前の姿を克明に記録していて、国の重要文化財に指定されました(2015年9月4日付/文化遺産オンライン)。このガラス原板をデジタル化した高精細画像が「法隆寺金堂壁画ガラス原板デジタルビューア」に公開されています。
- 金閣寺 | 臨済宗相国寺派…金閣寺は舎利殿(シャリデン)の金閣が有名なため、よく金閣寺とよばれていますが、正式名称は鹿苑寺(ロクオンジ)または北山鹿苑禪寺(キタヤマロクオンゼンジ)です。金閣寺・銀閣寺ともに相国寺の塔頭寺院です。