人物
摩訶迦葉とは王舎城近郊のバラモンの子で、ブッダ十大弟子の一人でニックネームは頭陀第一。
梵語のMahākāśyapa(マハーカーシャパ)からの音写で、たんに大迦葉・ 迦葉ともいいます。
十大弟子のなかでもっとも執着心のない清廉な人格者で、ブッダの信頼ももっとも厚かったそうです。
キャリア
ブッダ成道後の3年目頃にブッダの弟子となり、8日目に羅漢の境地に入りました。
ブッダ入滅後に教団の統率者となり、王舎城において第一回の経典結集を行ないました。
のちに阿難を法の後継者にし、難足山に入って入定したまま生涯を終えました。
短気
バラモンの家に生まれ、結婚後に妻ともどもブッダの教団に入りました。
不浄が大嫌いなために、導火線が短く沸点が低く少しのことで怒ったようです。
短気なところをブッダは欠点だと評価しました。
頭陀第一
頭陀第一といわれています。
頭陀とは托鉢行のことで托鉢三味。
そこがブッダの信頼を得たようで、中国のブッダ像の向かって右側には、必ずといっていいほど摩訶迦葉の立像がみられます。
執着心のなさや頭陀第一を重視してか、禅宗ではとくに尊崇します。
世尊拈華
「無門図」という禅宗の公案集に「世尊拈華」という話が出てきます。
ある日、ブッダが大衆の前に現われます。
説法されると思いきや、突然、ブッダは無言のまま一本の花を差し出しました。
大衆はその意味するところがわからず、なんの反応も示せなかったとき、摩訶迦葉ひとり微笑して応じました。
それを見たブッダは、自分の正法を嗣ぐ後継に摩訶迦葉を選んだというエピソードです。
同名尊者
過去の仏の第六や、仏弟子中にも優楼頻羅迦葉・伽耶迦葉などが迦葉と呼ばれました。
仏滅3000年に出た小乗飲光部の祖も同名です。
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