昔、インドのコーサラ国に、釈迦(お釈迦様)がいました。釈迦は悟りを開き、人々に苦しみから解放される道を説いていました。ある日、釈迦は弟子のアーナンダと一緒に、ガンジス川のほとりを歩いていました。そこに、一羽の鳩が飛んできて、釈迦の足元に落ちました。鳩は傷つき、息も絶え絶えでした。近くでは、鷹が鋭い目で鳩を狙っていました。
鷹は空から急降下し、釈迦に叫びました。「お釈迦様、この鳩は私の獲物です。自然の法則です。私も生きるために必要です。どうか返してください。」釈迦は静かに鳩を抱き上げ、優しく言いました。「確かに、お前も生きる権利がある。だが、この鳩も同じく命あるものだ。慈悲の心で、互いに殺し合わず生きる道を探そう。」
鷹は納得せず、執拗に迫りました。「では、私の空腹をどう埋めればいいのですか?」釈迦は黙って自分の太ももにナイフを当て、肉を切り取りました。血が流れ、痛みに顔を歪めながらも、鳩の重さと等しい量の肉を切り取り、鷹に差し出しました。「これで満足か? 自分の肉を代償に、命を救う。これが慈悲だ。」
鷹は驚き、釈迦の犠牲に心を打たれました。結局、鳩を諦め、空へ飛び去りました。鳩は傷が癒え、再び空を舞いました。アーナンダは師の行動に深く感動し、問いました。「お釈迦様、なぜそこまで?」釈迦は微笑み、「すべての命は等しく尊い。自分を傷つけてでも、他を救う心が、仏の道だ」と答えました。
この話は、『ジャータカ物語』(釈迦の前世譚集)に似たエピソードとして伝えられ、釈迦の前世で鳩を救う王として語られるものもあります。仏教の核心である「慈悲(メッタ)」を象徴します。慈悲とは、他人だけでなく敵や動物にまで及ぶ無条件の愛。釈迦は自らの苦痛を厭わず、命の平等を示しました。
現代でも、この教えは重要です。争いや環境破壊の時代に、互いの痛みを想像し、犠牲を払う心が平和を生む。日常で小さな親切を実践すれば、世界は変わるでしょう。釈迦の肉を切る行為は、極端ですが、自己中心を捨てる象徴。仏教は「中道」を説くが、慈悲は極限まで深く、すべての衆生を救う菩薩の道につながります。このエピソードは、単なる昔話ではなく、生き方の指針です。

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