大韓仏教総本山曹渓寺(ソウル)
- 宗旨:禅(禅・教兼修)
- 宗派:大韓仏教曹渓宗
- 山号:(なし)
- 院号:
- 寺号:曹渓寺
- よみ:チョゲサ/そうけいじ
- 本尊:釈迦牟尼仏(大雄殿三尊/旧本尊は木造如来坐像)
- 開創:1910年(覚皇寺)/1938年(太古寺・現伽藍)/1954年(曹渓寺と改称)
住所
- ソウル特別市鍾路区優政国路55(堅志洞45)/우정국로 55, 종로구, 서울특별시(03144)
- 電話:+82-2-768-8600(代表)/+82-2-732-2115
境内は終日。大雄殿・極楽殿はおおむね4:00〜22:30。入場料なし。
アクセス
- 地下鉄1号線 鍾閣(종각)2番出口、徒歩約5〜10分
- 地下鉄3号線 安国(안국)6番出口、徒歩約10分
- 地下鉄1・3・5号線 鍾路3街からも徒歩圏
宗旨
曹渓宗は釈迦の教えを本とし、禅の「直指人心・見性成仏」を宗是にします。中国の六祖慧能が住した曹渓(広東)の名をとり、韓国では新羅以来の禅と教をひとつにした宗団です。僧侶約1万2千、伝統寺院の大半が属します。
曹渓寺は第1教区(直轄)の本寺で、境内に中央宗務機関があります。山中の叢林(通度寺・海印寺・松広寺など)が修行の核、ここは都心の総本山です。1954年の仏教浄化運動のあと、帯妻を認める太古宗と分かれ、いまの曹渓宗の看板になりました。
本尊
大雄殿の本尊は釈迦牟尼仏。
いまの須弥壇は三尊です。中央が釈迦、向かって右(東方)が薬師如来、左(西方)が阿弥陀如来。巨大な三躯は2006年にそろえました。
それ以前の本尊は、全羅南道の道岬寺から1938年に遷した木造如来坐像(15世紀、朝鮮前期、宝物)です。いまも殿内にあり、寺の歴史上の本尊です。 Lonely Planet 等が「ガラスケースの小像」と書くのがこれです。
極楽殿には阿弥陀仏、観音、地蔵。境内の七層石塔には、1913年にスリランカのダルマパーラが将来した仏舎利を安置します。
所蔵品
寺として指定されている主なものは次です。宗団の仏教中央博物館(境内、2007年開館)は別会計で、特別展中心です。国宝級を常設しているとは限りません。
| 名称 | 指定 | 内容 |
|---|---|---|
| 大雄殿 | ソウル市有形文化財第127号(2000) | 正面7間・側面4間、単層では国内最大級の仏殿。1938年落成 |
| 木造如来坐像 | 宝物(2022、旧ソウル市第126号) | 道岬寺伝来、15世紀。1938年に本尊として奉安 |
| 釈迦仏図 | ソウル市有形文化財第125号 | 後仏図 |
| 白松 | 天然記念物第9号 | 樹齢約500年 |
大雄殿の木材は、1922年に全北井邑の普天教・十一殿として建てられた建物を1937〜38年に移築したものです。白頭山の松という説明も流通しています。2003〜2004年の解体修理で、棟木から上梁文など217点が出ています。
梵鐘楼には法鼓・木魚・雲版・梵鐘の四物。一柱門、天王門、極楽殿が境内の骨格です。
歴史
朝鮮開国直後の1395年に覚皇寺があった、とする系譜があります。曹渓宗自身は近代の再興を創建とみます。朝鮮は崇儒抑仏で、僧の都城内出入りを禁じ、四大門の内側に寺はありませんでした。
1910年、韓龍雲らが覚皇寺をソウルに開き、韓国仏教の自主と布教の拠点にしました。四大門内の寺としては近代最初です。日本統治下では寺刹令で三十本山に再編され、覚皇寺は民族側の窓口になりました。
1937〜38年、朝鮮仏教総本山大雄殿の建立。建物は井邑・普天教の十一殿を移し、落慶後の名は太古寺。道岬寺の木造如来を本尊としました。1941年、朝鮮仏教曹渓宗が認可されます。
光復後、1954年の仏教浄化運動で日本色と帯妻僧を分け、寺号を曹渓寺に改めます。太古寺の名は太古宗側へ。以降、曹渓宗総本山として鐘路にあります。
受験シーズンの願掛けで知られますが、寺の中身は宗務と礼仏です。春の燃灯、夏の蓮、秋の菊で境内が変わります。山寺の遠足ではなく、門前の商店街から一柱門をくぐる都心の総本山です。
建築
曹渓寺の建築は、山寺の伽藍ではなく、都心に据えた「純朝鮮式」の大型仏殿が核です。写真に写っている一柱門・大雄殿・舎利塔に沿って書きます。
伽藍の型:山寺を圧縮した都心配置
韓国の伝統寺院は山中に一柱門→天王門(金剛門)→塔→大雄殿と軸を通します。曹渓寺は鐘路の街区にその型を縮めた寺です。境内は広くなく、門をくぐるとすぐ中庭、正面に大雄殿、脇に舎利塔と白松、奥に極楽殿・梵鐘楼、という順です。修行の叢林ではなく、宗団の総本山としての「見せる伽藍」です。
1935年、全国本寺の住持会議は総本山大雄殿を「純朝鮮式法堂」で建てると決めました。いま見る様式の方針はここにあります。部材の由来は別で、建物そのものは1920年代の大型化と、朝鮮後期の宮廷・寺院の意匠をあわせたものです。
一柱門(일주문)
写真の扁額「大韓佛教總本山曹溪寺」が掛かるのが一柱門です。横から見ると柱が一直線に並ぶのでこの名があります。俗世と仏域の境です。
いまの門は2000年代前半の再建で、創建当初の位置・規模とは違います。屋根は八作(팔작、日本の入母屋に近い)、軒下は丹青の多包です。左右の柱聯は
- 曹溪山上一輪月
- 佛佛祖祖唯此傳
曹渓の名は中国・曹渓(六祖慧能)に由来し、山号のない都心の寺が、聯で「曹渓山」を立てています。軒下の蓮灯籠は常設ではなく、燃灯・蓮花の季節に足されます。2026年9月の横断幕は第12回蓮花祭りです。
門内には四天王が立ちます。曹渓寺は持物と名前の対応が一般の天王門と一部違うので、琵琶を持つ像を持国天と決め打ちしないほうが正確です。
大雄殿:規模と骨格
ソウル市有形文化財第127号。正面約30m、側面約17m、正面7間・側面4間、単層。1920年代に建てられた平屋の仏殿としては国内最大級で、景福宮勤政殿に比されることがあります。基壇は二重ではなく高さ約1.6m、勤政殿よりは小さいです。柱は木造34本。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 平面 | 正面7間・側面4間 |
| 屋根 | 単層・八作屋根(팔작지붕)、重ね軒(겹처마) |
| 組物 | 多包(다포)。柱上だけでなく柱間にも包を置く |
| 出目 | 外側5出目、内側7出目 |
| 梁行 | 7梁(7량) |
| 内陣 | 前後に高柱(내진주)各6本、計12本、高さ約8.5m |
| 基壇 | 花崗岩を塼状に敷く。方形の二重礎石の上に円形礎石、柱脚に石柱を嵌める |
多包は朝鮮後期の大型殿閣の型です。柱心包(柱の真上だけに組物)より密で、軒の出が長く、屋根が重く見えます。外側5出目・内側7出目は勤政殿より出が多く、部分の華やかさでは宮殿本殿を上回ると指摘されます。「11包で国内最大級」という記述もあります。
2004年の解体修理で大梁を替え、活柱(활주、軒を支える控え柱)を外しています。いま軒下に活柱が見えないのはその結果です。棟梁は宮闕大工と呼ばれた崔元植。上梁文は権相老。
礎石の上に石の柱脚を嵌めるのは、移築時の処理です。普天教・十一殿にはなく、柱脚の腐食を避けるために足しました。日本統治期の大型建築でよく使われる手法です。
屋根・丹青・格子:写真に写っている意匠
添付の大雄殿隅の写真が、この建物の見どころをほぼ全部写しています。
八作屋根は妻側が「八」の字形に落ちる入母屋系です。切妻(맞배)より立体が強く、多包の大型殿に合います。軒裏の彩画が丹青(단청)です。緑青・丹・群青で連弁・宝相華・包の渦を塗り分け、朝鮮の宮殿・寺院に共通する彩色です。構造材を保護する塗装でもあります。
花格子(꽃살문)が曹渓寺大雄殿の顔です。壁面の開口をすべて花・鳥の透かし彫りにし、着色しています。普天教・十一殿のとき、宮中の花鳥屏風と寺院の荘厳を重ねて付けた窓で、仏教側は1937年の移築でもこの窓を「仏殿の意匠」として受け入れました。のちの他寺の仏殿格子にも影響した、と研究があります。開いた緑の扉の向こうに金の三尊が見える写真が、その格子を日常の開閉で使っている状態です。
外壁には八相図(팔상도)、釈迦の生涯八場面の壁画が並びます。観光案内が「仏陀の生涯の壁画」と書くのがこれです。柱には金字の聯。写真に読めるのは次です。
- 一音清震三千界 七寶莊嚴八解門
- 直貫山王碧落開 珠瓔珞白天相
- 因修十善三祇滿 果傾千華百福嚴天井は井戸天井(우물천장)。内部は疎欄板子(소란반자)に鶴・鳳凰・囍、周囲の斜め天井(빗반자)に仏画・山水・花鳥です。宮殿の室内意匠が仏殿に入っています。
移築の事情:十一殿が大雄殿になる
いまの大雄殿は、1922年(竣工を1925/1929とする記述もあり)全北井邑の普天教・十一殿を、1937年に1万2千ウォンで買い、解体して鐘路へ運んだものです。1938年10月25日落慶。方針は「純朝鮮式」ですが、部材は新興宗教の本殿でした。
普天教は甑山系の民族宗教で、十一殿は神社に負けない規模の「宮闕のような建物」として建てられました。教主車京錫の死後に売却され、韓龍雲・朴漢永らが総本山建設に転用します。宮殿の装飾と寺院の荘厳がもともと混ざっていたため、仏殿への転用に抵抗が少なかった、と建築史は見ます。木材を白頭山の松とする説明も流通しますが、核は井邑からの移築材です。
指定文化財の時代区分が「朝鮮時代後期(1922)」なのは、建立年ではなく様式の位置づけです。朝鮮後期の多包・八作を、近代に大型化した建物、ということです。
中庭のほかの建築
八角十層舎利塔(公式英語は Octagonal Ten-Storied Buddha Relic Stupa。七層とする案内もあり)は蓮華座の上に層を重ね、相輪に龍、軒に風鐸です。1913年、スリランカのダルマパーラが将来した仏舎利を安置します。山寺なら釈迦塔・多宝塔が軸線に乗りますが、ここは中庭の記念塔です。写真の蓮は夏〜初秋の境内植栽で、塔の様式とは別です。
極楽殿は大雄殿の奥、阿弥陀・観音・地蔵。二層で、上階は説法・教育に使います。丹青は緑を基調にします。
梵鐘楼は法鼓・木魚・雲版・梵鐘の四物。山寺の鐘楼を都心の中庭に置いた形です。
白松(天然記念物第9号)とエンジュ(槐)は建築ではありませんが、大雄殿のスケールを測る目印です。白松は輸送洞の地名の由来にもなります。
歩き方の見方
大阪の四天王寺や寺町の本堂と比べると、曹渓寺は「一棟の大きさと彩色」で勝負する寺です。伽藍全体の深さは山寺(通度寺・海印寺・松広寺)に及びません。見る順は次で足ります。
1. 一柱門の扁額と丹青
2. 中庭から大雄殿の八作屋根と多包
3. 花格子と八相図(建物を一周)
4. 開扉があれば三尊
5. 舎利塔と白松
日除けのテントとパイプ椅子は常設の建築ではなく、礼仏・祭りの仮設です。アイキャッチに門を使ったのは、寺号と様式(八作・丹青・多包)が一つの画面に入るためです。
- 配置は山寺伽藍の都心圧縮
- 大雄殿は正面7間・多包・八作、1920年代単層仏殿として最大級
- 部材は井邑・普天教十一殿の移築(1937–38)、方針は「純朝鮮式」
- 見どころは花格子・丹青・八相図で、一柱門は2000年代の再建
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